往年の偉大なテノールと日本のテノール

 歌唱や楽器演奏の元になるのは何であろうか。ピアノの演奏を観察してみよう。演奏者は楽譜に定められたことに従って鍵盤を叩かなければならない。

 時にはほとんど全部の指を使用し、あるいは高速で鍵盤を追ってゆく。それはまさしくスポーツと同じ神経や筋肉の作用が必要だ。

 演奏は芸術の前にスポーツなのだ。そこでは何が求められるのか。野球選手やテニスプレーヤーと同等の筋肉の作用が必要なことは少し考えれば分る。

 そのスポーツの上に芸術が乗り、それが演奏行為となり、練達した演奏家は観客を魅了し、そして自身の満足を得る。

 歌唱における発声は正にスポーツの一種であり、表情や音の微妙な感覚は自分が作る芸術だ。

 発声がスポーツであるとすれば、そこには効率的な筋肉の使い方があるだろうし、それが簡単にできる人がいる。野球で言えば、一昔前の王や長島選手のような人だ。

 だが彼らも自身の持つ能力を極限まで発揮するため、人一倍の努力をしたに違いない。夜ふと目を覚まし、悟ったことを実践するために部屋の中で素振りをしたという話しが伝わっている。

 野球でも歌唱でも関係する筋肉は無数にあり、それら全てを意識しながら意のままに動かす。そんなことはできる訳がない。だがスポーツに関係する筋肉は横隔膜を初め、全ては随意筋だ。そこに救いがある。

 随意筋は名の通り自分の考えに従って動かせる筋肉であるから、ある筋肉を意識して動かそうとすれば動く。

 だがどこかの筋肉を大きく動かし、他の筋肉に掛ける力を弱めるということを全ての筋肉に対して行うことはできないのは述べた通りだ。ここで感性という人の機能が登場する。

 豊かな感性の持ち主は相当多面的な筋肉の動作を余り考えずにやるだろう。だが感性とはいかなるものか。生まれつき備わった感性もあるだろうが、後天的に取得して感性もある。

 感性も努力して高度に発達させなければならない。大相撲の栃錦が大の字になって昼寝をしていたところを見た師匠の栃木山は栃錦が脇を広げて寝ているので、「横綱たるものが何たる様だ」と注意し、日ごろの所作にもうるさかった。

 感性はそうした日ごろの動作からも生じるものだから、日本人が本来イタリア辺りの発声方法を会得するのは容易なことではない。

 日本では大きな声で話すことすら憚れる。ところがテノールの発声においては高い声をクリアーに遠くまで届く深みのある声が求められる。イタリア人の会話を聞いているとまさにそんな声を出す訓練をしているように思われる。

 アメリカ人は口の中で声を響かせるので声に芯がなく、ただがなるように聞こえる。日本人は聞く相手にだけ聞こえる程度の音量で優しく話す。

 従ってイタリア人並みの声を発声するテノールは日本にはほぼいない。全く日常とはかけ離れた声を出さなければならないからだ。

 発声の要点は二つだ。呼吸と響き。響きは硬いところに空気の振動が当たれば澄んだものになる。だから基本は胸骨や頭蓋骨にいかに響かせるかを訓練すれば良い。

 呼吸とは空気の圧力が高いところから低いところに移動する過程である。胸郭が広がって空気圧が低くなって障害がなければ空気は外部より胸郭に流れ込む。これは吸気である。

 だが歌唱による声の生成は呼気によるものだ。胸郭に入った空気が声帯で出るのを遮られていたのをコントロールしながら開放する時に声帯を震わせ声が出る。

 出た声は口の中、鼻、頭蓋骨を響かせながら飛んで行く。時々テレビで流れる声楽風の日本の歌ではほとんどが口の中に響いている。だがそれはもっとも効率の悪い発声法だ。

 高い声は頭蓋骨に響かせるのはどんな声楽の本にも書いてあるが、案外誰もが言及しないのが、横隔膜の響きだ。これはクリアーな声を出す助けにはならないが、ダイナミズムを与え、深みのある声を出すものだ。頭蓋骨による響きは寺の鐘の響きで、横隔膜を反射する音は和太鼓と思えば何となく分るような気がする。

 これを実感する一番分かり易い方法は優秀なバリトンの声を聞くことだ。その最も良い手本が「Titta Ruffo」の声だろう。

 テノールに置いても同じことだ。あくまで横隔膜の響きを保ちながら頭蓋骨にもその響きを伝える。この最も良い例が「Enrico Caruso」だ。他の往年の優秀な歌手もある程度はできているが、カルーソーには及ばない。

 残念ながら日本のテノール歌手でこれができている人はいまだ聞いたことがない。高音域を意識するあまり比較的低い音の発声の時に必須である横隔膜の響きから意識が遠のくのだろうか。

 横隔膜を響かせるにはまず、それを意識し、声帯をできるだけ下げることである。あまり下げ過ぎると固い声になるので、それを注意しながら発声すると横隔膜の響きはすぐに得られるだろう。

 因みに声帯は裏表どちらでも音が出るようにできている。息を吸っても歌も歌える。ヨーロッパのポピュラー歌手でこの技法を多用している人がいる。

 だが大歌手になるとこの割合は少なく、ほとんどが声帯の表を使用する。だがこの技法も覚えておいて損はない。

酒巻 修平

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