バットマンカーを買った

 アメリカで中古車を仕入れアメリカで販売するというビジネスをしていたことがある。そのときはフェラーリを53台、ロールスロイス、ナイトライダーカーなどを在庫として持っていた。

 ある時バットマンカーを買わないかという話があり、我が社はこれに乗った。一代75万ドルで2台売り物が出ていた。このバットマンカーは映画撮影用に5台作成されたうちの2台である。3台はアメリカ人が買った。

 ビジネスであるので、当然販売を始めた。最初の1台は100万ドルドル売れて、会社は25万ドルの利益を得た。もう一台についてはマイケルジャクソンの使いの者が売買交渉に来て、75万ドルで売ってくれと言ってきた。

 75万ドルでは会社は利益が出ないので断るとその人間は「マイケルジャクソンと取引をする名誉が得られるぞ」とかこちらの売り気を煽る。しかし私はマイケルジャクソンなどに何の興味もないものだから、断った。

 それやこれやして販売努力をしたが、映画も上映が終了して、最後の一台が在庫として売れ残った。当時はバブル期で銀行はいくらでもお金を貸す。もともと使い道がないのに貸しこまれたものだからこの中古車販売を考えたのだ。

 私は当時運転免許もなく、車にも興味がなかったが、ただビジネスとして中古車の販売をやり出したのだ。バットマンカーにもマイケルジャクソンにも車そのものにも全くと言っていいほど興味が沸かなかった。

 結局この1台が不良在庫として残ってしまった。今考えれば安くてもマイケルに売っておけば良かったと思うが後の祭り。最終的には50万円でたたき売りをした。だからこのバットマンカーの商売では儲けは全く出なかった。

 仕入れてから売るまで2年ほど期間が経過したので、その間このバットマンカーの利用方法を色々と考えた。もう今は亡くなった小森のおばさんがやっていた六本木のバーで飲んでいるとき彼女が日本に持ってきたら乗せてねと頼んだりしたが、日本では一般道路は走れない。

 駐車料はたいしたことはないので、どこかに保管しておけば今は高値が付くと思うのだが、当時は運送コストも考えて日本に持って来ることはしなかった。私はただの中古車販売をやっても企業として差別化ができないので、映画に使われた車だけを扱うビジネスを考えた。

そこで手始めに仕入れたのが、ナイトライダーカーであった。これは安かった。日本円で160万円くらいだったと覚えているが、いくらで売ったかは小さいビジネスだったので、忘れてしまった。

 当時アメリカでの法律相談のため顧問弁行ったりした。この男はけちなのか金がないのか、1万円ほどの旅館代が出せないと言うので、面倒になり、私が旅館代を払った。

 その後この弁護士の勧めで上記の通りバットマンカーは50万ドルで売却した。それはそれで良いのだが、その弁護士は色々理屈を付けて売却代金をこちらに渡さなかった。

 だから会社は50万ドルの赤字になったが、その程度の金額はバブル期には大きい金額とは言えなかった。我が社は当時は無担保で28億円ほど銀行から借入金があった。

 バブルも1992年に終了したので、我が社はアメリカにある車を全て処分して借入金を返還してバブルの崩壊を乗り切った。私個人でも不動産二か所を売却して、これでは1億円ほど利益を得た。

 今考えるとあのバブルは何だったのかと首をひねる。崩壊の理由は明らかだ。当時の宮沢喜一、橋本竜太郎、三重野日銀総裁の3馬鹿トリオがアメリカとの経済交渉で完全にアメリカの意のままに動かされたからだ。

 バブル当時の日本の地価総額はアメリカ全土のそれより大きいとされていたが、エンパイアステートビルを買うなどアメリカの面子が丸つぶれになるようなことを政府が放置してアメリカが怒ったのだ。

 日本の政治家は能力が低い。バブルを軟着陸させておけばその後の空白の20年はなかっただろう。この間に日本の経済は停滞して国民に塗炭の苦しみを味合わせた。

酒巻 修平

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