縄文土器と先史時代のインディアンの石斧

いつだったかまだ埋没文化財についての法律が定まっていないころ、私は近所の工事現場で縄文土器の発掘をした。

 そこには家が建つ予定でそのままだと土器などは全て破棄される運命にあったので、私は少々でも土器を掘らしてもらおうと工事現場の人に頼んだ。そのとき日本酒を一本持っていったのが功を奏したのか、工事の人は了承してくれた。

 もう暮れも押し迫り、正月を迎える様子の中、私と息子は土器を掘り始めた。縄文土器の遺跡はそのころ全国で38万か所もあり、過密の状態だった。この事実から私は日本は大昔から過密なのだなと知った。

 これがもしメキシコであるなら条件がそろっていても古代の遺物が発掘されるかどうかは偶然が支配するが、日本では条件さえそろえばどこでも縄文の土器が出て来ると思われるし、実際私の経験ではそうだった。

 縄文の土器は地表から1メートルほどのところに埋まっている。上の1メートルは富士山の噴火で堆積したいわゆる関東ローム層で、黒く、その下は畑の土のように褐色である。

 その1メートルの火山性の土が一度に降り積もったものか、それとも長年に亘る数度の噴火でできたものなのか私には分からないが、もしそれが一度の噴火でできたものならば、固まって1メートルになる堆積層を作るにはどれだけの火山灰が降ったのだろうと考えるとぞっとする。

 縄文土器が何故そこにあるのか。火山の噴火から逃げるために重い物を置いていったのか、それともそんなものは簡単にできるものなので、故意に置いて行ったものなのかは分からない。

 しかし私はそのときに物が紛失したりしてなくなる理由を考えた。昔は文字もなく情報は口伝で後に残された。だから口伝をする人も受ける人も死んでしまうと物の保管場所が不明になる。

 山陰の方で大量の銅剣が出土したのはこのような事情があったのではないかと思っている。物がなくなる科学的な考察はされていないので、誰かやってみれば面白いのではないかと思う。

 さて発掘の結果ほぼ完全な壺が3個と無数の破片が見つかった。破片は今でも我が家に保管してあるし、壺は時々取り出しては飾っている。

 いつかアメリカのメーカーの総販売代理店をしたときに記念に壺を一つ上げたら、向こうはお返しに先史時代のインディアンの石斧を呉れた。それは今我が家の家宝になっている。

 聞くとそれは山の上の方にある洞窟の中で見つけたそうだ。その人も考古学に興味があるらしく、日本の埋没遺物の話をしたりアメリカの先史時代の話をしてとても面白かった覚えがある。

 アメリカでも物のなくなる理由は日本とさほど変わりはないように思え、大体は危険に会うと必需品以外は元のところに置いていったのだと思われる。

 その斧には縄を巻く溝が掘られていて、そこに縄や木の蔓を巻き付けて使用したもののようだ。だから先端の使用により掛けた跡があり古代のインディアンと私を繋ぐ縁になっている。

 富士山は休火山だと言う。もしそうであればいつ大爆発をするか分からない。前回の大噴火は宝永山を作ったときのものだからもう200年以上は経過しているだろう。

 一度の噴火で1メートルもの関東ローム層を作るくらいだから、もしそうなったら東京には甚大な被害が発生するだろう。そんな備えはあるのだろうか。

 関東ローム層を形成したときの噴火では縄文人は全滅したか、生き残った人がいてもそれは少数だったかも知れない。あるいはこれが日本の主要民族が弥生人になった理由とも考えられる。

 何にしても自然災害は避けて通れない。誰かが想定外と言ったが、想定は困難ではない。大災害が文化を破壊し、代わって新しい文化を創造するもとになるのは当たり前だが、現在社会ではそうも言っておれない。

酒巻 修平

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