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聖人と凡人のちがい

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今日の言葉

二宮翁夜話より引用

28)聖人の名は実行の結果 翁のことばに、聖人も、聖人になろうとして聖人になったのではない。日々夜々、天理にしたがい人道を尽して実行しているのを、わきから見て、ほめて聖人といったものだ。堯舜も、一心不乱に親に仕え、人をあわれみ、国のために尽したまでのこと、それを、わきからその徳をほめて聖人といったのだ。ことわざに、「聖人聖人というのは、だれのことかと思ったらが隣の丘のことかい」ということがある。まことに、さもあるべきことだ。私がむかし鳩ヶ谷の宿を通ったとき、不二講で名高い三志という人がいるはずだからと尋ねてみたが、三志といってはだれも知る者がない。よくよく問いただしたところ、「それは横町の手習師匠の庄兵衛がことだんべえ」といったことがあった。それと同じことなのだ。
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】

聖人と凡人のちがい

聖人とは、人格や徳行に優れ、理想的な人物として尊崇される人を指します。

二宮金次郎は、「真の聖人とは、周囲の人々がその人の態度や生き方を見て”聖人”と感じるような人物」と述べています。

最近、「ドヤ顔」という言葉をよく耳にします。

「ドヤ顔」とは、これは得意そうな顔や自慢げな顔、誇り高げな表情のこと。

良く見られたい、自慢したい、認められたいと思う時にドヤ顔をします。

しかし、自分でドヤ顔をしてアピールしないと、人から認めてもらえないのは寂しいですね。

周囲から認めるられるかではなく、自分が純粋に楽しんでいることに専念し、それを専門家レベルまで追求すれば、自然と周囲からの認められ評価されると思います。

それぞれの物事をどこまで追求できるかの差が、聖人と凡人の違いかもしれません。

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