江戸時代、ご禁制品

時代劇を見るとご禁制品を密輸入した悪者が正義の味方にやられるという話しがよく出て来る。

正義の味方は将軍の親戚だったり、将軍その人である場合もある。

いつもはそんなことは絵空事だから、気にもせず見ていたが、ふと疑問に思ったことがあった。

ご禁制品はギャマンの壷であり、清国からの高麗茶碗だったりする。買うのは裕福な武士か町人だ。

とすると輸入しても誰に損害もない。まして藩が飢饉に陥ってそれをカバーするために輸入すれば藩の人民のためにもなる。

どうしてそんな品の輸入が禁止されたのだろうか。家康はどうも開国に反対ではなかったようだし、信長、秀吉などの頭脳の優れた統治者はいずれ開国する予定であっただろう。

ところが家光の時代になると鎖国が厳しくなり、吉宗のように心ある将軍も輸入を許可することはしなかった。

すなわち、頭が悪いのだ。種々の考えが入って来るのを嫌ったという一面もあっただろうが、それならキリスト教やイスラム教など国の考えに逆らうことだけを取り締まれば良いのではないか。

吉宗は開明な将軍と言われ、目安箱という下々の意見を聞く制度を作ったくらいだから頑固ではなかっただろう。

それが禁制品という制度だけは踏襲して輸入を許さなかった。もしその時輸入を許可制にでもして利益を得た商人から運上という形の税金を取れば良かったではないか。

そうしていれば禁制の輸入をこっそりとやっていた薩摩に滅ぼされることなく、政権はもっと長く保てただろう。

寛政の改革を推進した松平定信はその前の享保の改革をモデルにしたが、そのデメリットも判っていたはずだ。

ところがその学習ができていなかった。倹約を旨として贅沢品の使用と禁止したので経済が停滞して江戸の街は火が消えたようになってしまった。

その後の天保の改革も同じで経済活動は落ち込んだ。徳川は吉宗も定信(吉宗の孫)も水野忠邦もどうも経済音痴だったようだ。

これはどうしたことか。初代家康は開国に理解を示していたと思われるが、案外武力だけが秀でていただけの小心者だったとも考えられる。

勿論そんな悪いことは江戸時代の文献には載っていないだろうが、家康の影響は江戸最後期まで続いた。

そうだとすると合点がいく。家康は開国に絶対反対だったのだ。その考えから後の将軍たちは抜け出ることができなかった。

清から安い物を輸入して人民に供給すれば人民も喜ぶし、幕府の財政も潤う。その考えが出て来なかったのは家康に問題があったのではないか。

江戸期を通じて下級武士は満足に食料も確保することができず、アルバイトを色々やった。

日本国全体を見回すことができなかったのか。きょうも時代劇がある。そんな観点でドラマを見るとまた一興だ。

吉宗や松平長七郎、それに水戸黄門。誰もいつも金に困っている。もちろんドラマだから虚構だろうが、そういう精神が人の中に見えて面白い。

江戸が終わって明治になっても清貧という言葉が残った。どうも日本では金は卑しむべき存在のようだ。

それは皆徳川家康の小心から来たのではなかろうか。だが確かに金に拘り過ぎるのも問題が多い。

そんな日本人の考えを正常にバランスの取れたものにするにはどうしたら良いのか。時代劇を見ながら考えてみよう。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です