知識とは何だろうか

 知識を持つことは役に立つことだろうか。それを考える前に知識とは何かを知らなければならない。

 動物にとって一番大切な知識は食糧がどこにあるかであろう。そしてその食糧がどのような活動をするか、あるいはどのような形態をしているかも知識の大きな要素である。

 人に取っての知識は電車の駅がどこにあるか、食事はいつ自分に与えられるか、会社へ行く道筋はどのようなものであろうか。そんなことだろう。

 人は他の動物と違って脳が発達しているので、自分は何という国に住んでいるのか、平和なのか、日本国の首相は何という名前だろうか。そんなことも知識である。

 そのように知識を分析していくと必ず必要な知識となくても生きていける知識があるのが分かる。

 生きていく上での知識は日常生活の上で半自動的に入ってくるが、もう少し高度な知識はこちらから取りにいかなくてはならない。

 胃は摂取した食物を粗く消化して腸に送る臓器であるとか、発電は蒸気を起こしてその力でタービンを動かして行うとか、そんなことも知識である。

 地球の自転と公転の角度は約23.5度傾いているなんてことはかなり高度な知識である。

 さてこのような知識は持っていると役に立つのであろうか。生活上の知識は勿論役に立つ。だが高等学校や大学で習うような知識は役立つのだろうか。

 これは疑問だ。先ほどの地球の自転と公転の角度の傾きはどのようにして使用すれば良いのか。

 建物付きの家を購入するときtan23.5という更に高度な知識と組み合わせれば冬の一番陽が低い時に家の一番下まで陽が入るか計測することができるだろう。

 そうなのだ。知識を生のままで使うには限度があるのだ。加工するか、他の知識と合算して利用しないと生きてこない。すなわち知識を持っているだけでは意味がないことになる。

 そんな知識を学校でならう。知識の程度が低ければ低いほど、そのまま使用可能だ。だから小学校の低学年で習う知識はとても有効だ。

 3x3=9は使い易い。人の子供に3つずつ飴を上げると全部で9個の飴が必要だ。このように有効利用ができる。

 だが中学校になるとそうはいかない。25X2 - 16=0という式がありXの値を求めるのに左辺を因数分解しなければならない。それは(5x+4)(5x-4)であるが、そうすると式は(5x+4)(5x-4)=0となる。

 Xの値は合算式から5x+4=0と5x-4=0の二つの式が出て来る。結局答えは2つ。X=4とX=-4が答えだ。

 これは中学校の最も初歩の数学だ。だがこれを利用するにはどうしたら良いのか。社会生活を送る上で役に立つ場面はそうはない。

 これから数学者になろうとする人に取っては必要な学習だが、それを知識として持っていても無駄だ。

 数学は考える学問だ。考えるということなしにはこの学問は成り立たない。ここでも知識も必要だが、それ以上に考えるという作業が不可欠なのだ。

 ここで学校教育を考えてみよう。優秀な子供は小学校から優秀大学に入学することを夢見る(親が夢見る)。そして知識をできるだけ沢山脳の中に残そうとする。

 そうすると考えるということは二の次になってしまうし、まして創造などという人の最高の作業とはおさらばしなければならない。

 大学の入学試験は知識の多さを競うもので、その有効利用の能力を問うものではない。

 国立の大学が一番この点顕著である。ということは工学系を除いた学部に進学すると脳が退化するということを意味する。

 日本の官僚はふやけた人物の溜まり場だ。知識の集積を旨として試験に合格し、その後の仕事のやり方を見ても、知識の活かし方を心得ていない。

 そしてそのような人物からは勇気も消滅する。何故なら知識さえ持っていれば勇気は要らないからだ。

 試験では迅速性を要求されるのに、仕事の現場ではそれもなくなっている。それは現場で迅速性を要求されないからだろう。

 これからコンピューター社会が出現する。コンピューターは記憶を基として利用する。だからそういう社会では記憶するということは大切な技術になるが、それは使用する人でソフトを開発する人に必要な作業ではない。

 ソフトの開発も既存の技術を記憶することから始める程度の低い技術者もいるが基本的には考えなければならない。

 社会はどう変化するだろうか。考える人とその人たちが作ったものを記憶に基づいて使う人の二種類に大別される。

 これは貧富の差になって現れるだろう。政府がこの現象をどのように解決するか、官僚では無理だろう。

 政府の機構を全く新しく変えないと日本は遅れてしまう。あるいはアメリカもそうかも知れないが、今の政府では未来は暗い。

酒巻 修平

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