今日の言葉
二宮翁夜話より引用
100〕 善因善果は必然の輪回
翁のことばに、善因には善果があり、悪因には悪果を結ぶことは、だれでも知っていることだ。しかし、この因果が、目前にきざして目前に現われるものならば、人々は恐れもし、用心もして、善種を植えて悪種を除くはずなのだが、具合の悪いことに、今日まく種の結果は、目前にきざさず、目前に現われないで、十年、二十年から四十年、五十年ののちに現われるものだから、人々は迷ってしまって、恐ろしさを感じない。嘆かわしいことではないか。こうして善種をまかない上に、前世の宿縁があって、何ともいたしかたがない。これが世人の迷いの根元なのだ。けれども世の中万般の事物は、原因がないものはなく結果のないものはない。一国の治乱、一家の興廃、一身の禍福、みんなそのとおりなのだ。恐れもし、用心もして、決して迷ってはならない。
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】
因果応報のタイミング
因果応報とは、前世の行為が現世の幸不幸を引き起こし、現世の行為が来世の幸不幸を生じさせるという考え方です。
仏教では、魂が輪廻転生を繰り返すという前提のもと、この因果応報の概念が存在します。
例えば、今日悪事を働いたら、明日必ず報いがあるという宇宙システムが存在するとしたら、人は悪事を働くでしょうか。
今日詐欺で1000万円を騙し取ったら、明日2000万円騙し取られるとしたら、詐欺をするでしょうか。恐らく、自分が損をすると理解していれば、詐欺などしないでしょう。
しかし、因果応報は悪事を働いたら来世に不幸が生じるという遠い未来の話なので、現世での悪事でを働いてでも利益を追求するのが人間だと思います。
私個人としては、因果応報のタイミングはもっと早く、同じ人生で起こると考えています。
具体的には、高齢者への冷たい態度は、自分が高齢者になったときに冷たい対応を受ける結果を生むでしょう。
人の悪口ばかりを言えば、自分も悪口を言われる人間になるでしょう。
人を騙す行為をすると、自分が騙される立場になることは避けられないでしょう。
人生とは、小さな行動の積み重ねです。
誤った行動を重ねれば、必ず誤った結果を引き起こし、良心的な行動を重ねれば、必ず恵まれた結果を得ると思う。
結局のところ、因果応報とは、今日の自分の心と行動にかかっているということです。
当たり前のことだけど、当たり前すぎて気づかないこともあると思います。
二宮金次郎の『夜話100段「善因善果は必然の輪回」』を読み、そう感じました。