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徳を積む時期

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今日の言葉

二宮翁夜話より引用

87〕前もって善因を積め

翁のことばに、因果の理をこの柿の木で説明しよう。

この実を見るがよい。人の食品となるか、鳥に食われるか、それとも落ちて腐るか、まだ将来がわからない、枝葉のかげにある時分の、精力の運びかたによって、熟してから市場に出して売られるとき、三厘になったり五厘になったり、あるいは一銭になったりする。始めのうちは同じ柿で、熟するにしたがってこのように値打がまちまちになるのは、すべて過去、枝にあるときの精力の運びかたの因縁によるのだ。

天地間の万物はみんなこれと同じで、ささやかにひそかに生育して、それから人に用いられて、その徳をあらわすのだ。人もまたそのとおりで、親の手もとにあるとき、身を修めて諸芸を学び、よく勉強したその徳によって、一生の業が立つのだ。

凡人が、若いときよく学べばよかったと後悔心が出るのは、柿が市場に出たあとで、いま少し精気を運んで大きく甘くなればよかったと思うのと同じで、後悔先に立たずというものだ。

古人は「前に悔め」と教えているが、若い者はよく考えねばならぬ。そこで、修行というものは、いるかいらないか、用に立つか立たぬかわからぬうちに、よく学んでおくべきで、そうしな因果輪回の法則ければ用に立たぬものだ。

柿も、枝葉の間にあるときに大きくならなければ、市場に出てからしかたがないのと同じで、これがすなわち因果の道理なのだ。

【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】

徳を積む時期

「柿の価値は、その柿が枝で成長している間の過ごし方で決まる」と金次郎は語っています。

早い段階から学ぶことで徳を積み、それがその人の人間性となる。

金次郎の語る「学び」とは、単に知識を覚えるという意味ではなく、人間性を育てる修身のこと。

修身とは、自分の心とおこないをおさめただすこと。

今も昔も、若いうちから修身を学び、徳を積み人間性を高める努力が、人として大切なことだと思う。

しかし、現代において、若い時に修身や徳について学ぶのは難しい。

おそらく、修身や徳という考え方もないかもしれない。

でも、社会に出てから求められるのは、最終的にはその人の人間性。

どんなに知識があっても人間性がなければ、誰からも信用してもらえない。

大人になりると、人間性(自分の価値)が大切なことであり、人間性を高めるには日々の修身が必要だと気づくときがくると思う。

その気づいたときに、修身を学び、少しずつ徳を積む行動に切り替えていくことが大切だと思う。

なぜなら、どんな人の人生も今日から未来が作られていくのだから。

二宮金次郎を夜話87段を読んで、そんなことを感じました。

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