今日の言葉
二宮翁夜話より引用
55)決定と注意
翁のことばに、百事、決定と注意が肝要だ。なぜかといえば、何ごとによらず、すべて事は、決定と注意とによって成就するものだ。小さいことでも、決定もせず、注意もしなければ、百事ことごとく失敗する。たとえば一年は十二カ月だ。そうして米は、月々にみのるものではない。初冬の一ヵ月だけ米がみのって、十二カ月米が食えるのは、人々がそうと決定して、そのように注意するからできるのだ。こうしてみれば、二年に一度、三年に一度だけ米がみのったとしても、人々がそのとおり決定して注意したならば、決してさしつかえるはずがない。およそ物の不足は、みんな覚悟しないところに出てくるのだ。だから人々の日ごろの幕し方にしても、おおよそこの位のことにすれば、年末になって余るだろうとか、不足するだろうとか、知れないことはないはずだ。これに心づかずに、うかうかと幕して、大みそかになって驚くのは、愚の至り、不注意のきわみだ。ある飯たき女が、一日に一度ずつ米びつの米をかきならしてみていれば、米がにわかに不足することは決してない、といった。 これは飯たき女のよい注意だ。この、米びつをかきならしてみることは、一家の店卸しと同じことだ。よくよく決定して注意するがよい。
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】
決めること注意すること
人生は連続的な決定の積み重ねです。
仕事の選択、人とのコミュニケーション、今日の食事の選択等、人生は自由な故に、大小問わず決定の連続です。
何かを決定するためには、決定事項に関する目的と情報が不可欠です。
何の目的もなく、何も情報が無ければ、何も決まりません。
目的を持ち、そして、その目的に関する情報を日々注意深く観察することで、物事は決められます。
二宮金次郎は「すべての物事は決断と注意によって成し遂げられる」と説明しました。
決断が速い人がいます。
その人が速く決断できるのは、目的を持ち、日々を注意深く観察し、様々な情報を蓄積しているからです。
日常生活の中で、目的を持ちながら物事をどれだけ注意深く観察しているかが重要であると感じます。