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疲弊した心を取り戻していくこと

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今日の言葉

菜根譚より引用

前段11)節操と気概
粗食をしている者には、氷玉の如く心の清浄潔白な者が多いが、美衣美食な生活をしている者には、奴がその主に追従する如く、上位の者におもねりへつらう心の卑しい者が多い。思うに、人の志操というものは、淡泊で名利の欲心が無ければ、自然と心が清純なものとなる。そして、その気概というものは、贅沢な生活をすることによって、失われていくものである。
【引用元 講談社 菜根譚 著 久須本文雄】

疲弊した心を取り戻していくこと

菜根譚のこの句では「人の心というものは、淡泊で名利の欲心がなければ、自然と清純なものとなる。そして、その気概というものは、贅沢な生活をすることによって失われていく」と説いています。

この言葉に深く共感します。

私が小学生の頃の幸せとは、毎日が楽しいことでした。

将来への不安も過去への後悔もなく、今日一日を友達と遊んで楽しめれば、それだけで十分でした。心も純粋でした。

しかし、様々なことを学び、大人になるにつれて、老後(将来)への不安や人生への後悔、物質的な幸せを追求した結果、仕事上の問題など、心が疲弊してきたように感じます。

確かに、その結果として贅沢とまでは言えないまでも、豊かな生活を送れるようになりました。けれども、心のどこかで何かが違うと感じています。

心の本当の成長とは何でしょうか。生きる意味とは何でしょうか。

もしかすると、大人になって疲弊した心を、再び純粋な心に取り戻していくことなのかもしれません。

菜根譚前段「節操と気概」を読んで、そう感じました。

オススメの本

※ブログで紹介した久須本文雄著の『菜根譚』は絶版のため、岩波文庫の菜根譚のリンクとなります。

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