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善悪は実行上の評価

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今日の言葉

二宮翁夜話より引用

109〕善悪は実行上の評価

翁のことばに、朝な夕なに善を思っていても、善事をしなければ善人とはいえない。それは、昼となく夜となく悪を思っていても、悪事をしなければ悪人といえないのと同じことだ。だから、人は悟道治心の修行などに暇を費すよりは、小さい善事でも身に行うのが尊いのだ。善心がおこったならば、すぐさまこれを実行にあらわすがよい。親のある者は親を孝養するがよい。子弟のある者は子弟を教育するがよい。飢えた人をみて哀れと思ったらすぐに食物を与えるがよい。悪いことをした、やれ間違ったと気づいても、改めなければしかたがない。飢えた人をみて哀れと思っても、食物を与えなければかいがない。それゆえ、わが道は実地実行を尊ぶ。およそ世の中のことは、実行によらなければ成就しないものだからだ。 たとえば小さな菜虫など、探し求めても見つからないが、菜を作れば自然に生ずる。小さなぼうふらも、探し求めても見つからないが、おけに水をためておけば自然と生ずる。いまこの席にはえを集めようとしても決して集まらない。つかまえて来て放してもみんな飛び去ってしまう。ところが飯粒を置いておけば集めなくても集まるのだ。よくよくこの道理をわきまえて、実地実行を励むがよい。

【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】

善悪は実行上の評価

インターネット社会では、他者を否定し自己の正しさを強調するコメントや動画が増えているようです。

自分の「正しさ」を主張すること自体は良いことです。

しかし、その主張は自分の行動に反映されていなければ意味がありません。

「こうあるべきだ」と主張する人は、自分自身がそのように行動すべきです。

「こう変わるべきだ」と社会や他者に主張する前に、自分自身が変化を起こすべきです。

何かを改善したいと願うなら、自分自身がそのための行動を起こすべきです。

そして、自分の行動を通して、自分の主張が正しいのか自身で評価し、「正しい」ことが何かを理解するべきです。

他者を否定して自己を正当化し、満足感を得るだけでは、自分自身は何も変わりません。

何も変わらなければ、真の評価はできません。

重要なのは、善悪を判断するために様々なことを学び、体験し、自分なりの根拠と経験を持つこと、そしてそれを心の中で言語化しておくことです。

これは、人間として大切なことであり、時代が変わってもその本質は変わりません。

二宮金次郎の夜話109段「善悪は実行上の評価」を読んで、そんなことを感じました。

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