今日の言葉
二宮翁夜話より引用
106〕 禍福の根元
翁のことばに、禍福は二つ別々にあるものではない。元来一つのものだ。手近なところでたとえれば、包丁でなすを切ったり大根を切ったりしていれば福だが、もし指を切れば禍だ。 つまり柄を持って物を切るか、誤って指を切るかの相違だけなのだ。そもそも柄ばかりあって刃がなければ包丁ではないし、刃があっても柄がなければ役に立たない。柄があり刃があって庖丁なのだし、柄があり刃があるのは庖丁の常なのだ。それなのに、指が切れれば禍といい、菜が切れれば福という。してみれば福といっても手前勝手なものではないか。水についても同様で、あぜを立てて水を引けば田地が肥えて福になるし、あぜなしで引けば肥土が流れて田地がやせ、言いしれぬ禍になる。これも、あぜがあるかないかの相違だけで、もともと同一の水なのに、あぜがあれば福となり、あぜがなければ禍となるのだ。また、富はひとの求めるところのものだけれども、おのれのために求めるときは禍がついてくるし、世のために求めるときは福がついてくる。財宝でも同様で、積んで世のために散ずれば福となるし、積んで散じなければ禍となるのだ。こういう道理は、だれでも心得ておかねばならない。
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】
日本の幸福度が低い理由
世界幸福度ランキングという指標が存在します。
このランキングは、「最高の人生」を10と定義し、各国の約1000人からアンケートを集め、0から10まで自分の人生を評価して算出されます。
2024年の日本の幸福度は143カ国中51位でした。
アンケートを回答した年代によって幸福度は変わるため、この結果が日本人全体の評価を反映しているわけではないとはいえ、幸せを感じている人が少ないのが現在の日本の状況だと言えます。
現在、大規模な自然災害や戦争、政治家の不正行為などにより、明るい未来のビジョンが見えづらい、不安感が強い社会状況です。
しかし、電気やガス、水道が利用可能で食事に困ることもなく、学校や仕事など日常生活は問題なく送れています。
人間が幸福を感じるためにはどうすればいいのでしょうか。
二宮金次郎は、「富は自分のために求めると禍となり、世のために求めると福になる」と述べています。
もし日本人が幸福を感じられないのは、自分のために富を求める人が多いからではないでしょうか。
人間は自分が大切なので、富を求める気持ちは誰しもが持っています。
しかし、一人一人が強く富を求めると、富を奪い合う状況が生じ、その結果、誰かが損をしていると感じてしまいます。
政治家が自分の富を求めると国民は不満を抱き、詐欺師が富を求めると社会は疑心暗鬼に陥ります。
社会が不安定な時ほど、人々は自分の富を追い求めがちです。
しかし、そうした不安定な時期にこそ、二宮金次郎のような思想を学び、人間としての原点に立ち返るべきだと私は思います。
二宮金次郎の夜話106段「禍福の根元」を読んで、そんなことを感じました。