今日の言葉
二宮翁夜話より引用
105〕 吉凶禍福は相対のもの
翁のことばに、吉凶・禍福・苦楽・憂歓などは、相対するものである。なぜかといえば、 ねこがねずみをとったときは楽しみの極だが、捕えられたねずみは苦しみの極だ。へびの喜びが極まるときはかえるの苦しみが極まり、たかの喜びが極まるときはすずめの苦しみが極まる。猟師の楽は鳥獣の苦、漁師の楽は魚の苦だ。世の中のことはみんなこのとおりで、こちらで勝って喜べば、あちらは負けて悲しむ。こちらが田地を買って喜べば、あちらは田地を売って悲しむ。こちらは利益を得て喜べば、あちらで利益を失って悲しむ。人間世界はみんなこのありさまで、たまたま悟りの門に入る者があれば、これをきらって山林に隠れて、世をのがれ世を捨ててしまう。これではやはり世の中の役にたたない。その志や行いは尊いように見えても、世のためにならないのだからほめるに足らない。私が戯れによんだ歌に、「ちゅうちゅうとなげき苦しむこえきけばねずみの地獄ねこの極楽」、ハハハ。 ところで、あちらも喜び、こちらも喜ぶ道がないはずはないと考えてみると、天地の道と、親子の道と、夫婦の道と、そして農業の道と、この四つがある。これこそ法則とすべき道なのだ。よく考えるがよい
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】
ツイている・ツイていないをセットで感じること
どんなことでも「ツイている」と思うこと運勢が良くなっていく。
だから「どんなことにでも「ツイいている」と思うようにしましょう」と良く耳にする。
確かに、「ツイてない」と感じるよりも「ツイている」と思った方が、良いことが増えるかもしれません。
しかし、「ツイている」ことがあるからこそ、「ツイていない」ことがある。
これが世の中の摂理です。
「ツイている」ことだけを見て、「ツイていない」ことを無視するのは、どこか無理があると思います。
そもそも、「ツイている」こととは何でしょうか。
それは人それぞれ違うことでしょう。
ただ一つ共通するのは、自分の期待を超えた良いことが起こると「ツイている」と感じ、期待を下回ることが起こると「ツイていない」と感じるということです。
つまり、「ツイている」「ツイていない」は自分の期待を超えたことかどうかで変わるのです。
だから、「ツイていること」を増やしていくなら、自分が日々何を期待しているのかを理解することから始めるべきだと思います。
「ツイている」をただ繰り返すのではなく、自分がなぜ「ツイている」と感じるのか、逆になぜ「ツイていない」と感じるのかを問い続けることが、本当の運を引き寄せるのだと思います。
二宮金次郎の夜話105段「 吉凶禍福は相対のもの」を読んで、そんなことを感じました。