小説 「東京」 -芸術家ー その2

家元である父母は双紫を教える義務を果たせなくなった。双紫も習うのではなく参考に聞くという態度である。勿論考えとのことではなく、自然にそうなってくるのだ。歌に対する技量の違いは歴然としていた。門弟はそのことを陰で言ったが、だんだんと聞こえるようにもなってきた。

このころには門弟にも教えるようになった。子供と侮る門弟もいて子供に習うのを潔しとしなかったが、1ヶ月もすれば却ってこの人に習って良かったと思うようになる。弟子が歌い、双紫がその後に歌うとその違いがはっきりと分かった。まだどのように違うかの分析はできていないのか双紫にも分からなかったかも知れなかったが、弟子は高いところに誘導されていった。

そんな双紫は自分の技量を自慢したり満足したりすることはなかった。自分でも一所懸命練習しているのは門弟も知っていた。練習量は群を抜いて多く、門弟は練習時間の多さでも双紫を超えることはなかった。生まれつき持った人格がそのころには少しずつ表面化していった。子供であるに関わらず誰も子供に対するような言動を取る人はいない。学校でもそのようだと父母は先生に聞かされたことがあった。小さい体に風格のようなものがあったが、本人はそんなことを嫌がった。

しかし自身では歌唱の上達はどうすればいいのか、分析する力はなかった。ただできるだけ多く稽古をする。そうすれば上達するだろうと考えた。勿論上達をするが自分が思ったほどではない。子供ながらに苦悩する日々が続いたが、それを表情に表すことがない。持って生まれた性格がそんなことをするのを許さなかった。父母はこのごろ稽古をしろとは言わない。当たり前だが、それも双紫には寂しいことだった。だから周りに自分の歌唱のためになる人がいない。そんな小学校時代を過ごした。

中学に入るころに生理が始まったが、双紫は母にも相談せず、一人で始末した。自分一人で自分を処することが常態化していたが、友達とはこのことに関しても一線を画していた。まだ高々中学生である。親の精神的な支えが欲しい年代なのに、もう気持ちも親から遠い。寂しくないと言えば嘘かも知れなかったが、そんなことが習い性になっていた双紫は自分のことは自分で始末することに疑問を感じることはなかった。

日本の伝統文化には挙措を美しくするということが求められていた。それは小さいころ父母に教えられ、最近その理由が分かってきていた。日本の芸術は全体としての美を尊ぶ。歌唱の際にどんな姿勢をしても歌唱の結果が良ければそれで良いということはなかった。立ち居振る舞いの美しさも要求されている。それはまだ年を重ねることが少なくても分かる。勿論所作そのものを芸術とするほどではないが、双紫の所作は美しかった。門弟が待つ部屋に入ってから稽古を付け、退出するまでの全ての動きに美があった。それを双紫は弟子に教えなかった。年少者が年長者である弟子に教えるということそのものに美しさを感じなかったからだ。しかし弟子は師匠の言動を真似た。

学校でも行儀の良い静かな子供だった。授業は黙って聞き、先生に質問することはなかった。分からないことがあれば自分で調べ、分かるまで徹底的に学習した。安易に参考書を見、先生に教えてもらうことがないということは反面分からないことが分かった時の理解が深いし、理解する過程で調べることにより知識や理解の範囲が広くなる。そんな学習法は考えた訳ではないが、歌唱に向かう態度と同じことであった。

成績はいつも一番であった。双紫は全体的な効率を考え、復習より予習を重点的に行ったので、そんな勉強法も良い成績を取る一因であった。予習は自分で問題点を見つけ、それを自分で解決する。不思議に自分が重点的に勉強するところと先生が試験で出題するところはほぼ同じだった。学問や勉強ではどこか鍵になることがあり、それも歌唱の勘所と軌を一にした。

双紫においては歌唱の稽古は勉強を後押しする形となり、ことさら勉強をしなくても友達以上の成績を収められる。だからその上に勉強することによって一番であっても二番の人の成績とはかなりな開きがあった。それを全員が不思議と思った。しかし歌唱の稽古が勉強であれば双紫の勉強の時間は他を圧するほど多く、良い成績を取っても当たり前だが、このことは双紫を含め誰も気が付いていなかった。歌唱の稽古で勉強をする時間がないのによっぽど頭が良いと評判が立った。

学校の先生が家庭訪問で、お子様はアメリカに滞在をされたことがあるのかと聞くほど、英語は特にできた。発音については地歌の歌詞を研究することにより日本語との違いが浮き出してくる。地歌の歌詞の発音は現在の口語の発音とは違う。その違いを踏まえて発音するのは英語の発音の練習に繋がっている。米英の人の気持を察し、その人の気持ちになって発音すると日本人ではありながら、英語らしい発音に近づいた。 

そんな成績の良い双紫であったが、学校ではいつもにこにこしているらしい。成績が良いからと誇る訳ではないし、子供が自然体で友達と接する心は普通の子供と同じであり、双紫もまたそれを喜んだ。いつも特別扱いされているのを嫌う反動とも言えるこの態度に友達は却って幼い尊敬の念を持った。

外から見ると言うことのない双紫の学校生活であったが、歌唱の稽古に戻るとそこには言い知れぬ苦悩があった。上達しないのだ。他人は上達していると見るが、本人の評価では上達は止まっていた。

<続く

酒巻 修平

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