社会改革-大相撲場所数や巡業が多すぎる

 私は大相撲のファンである。もうすぐ秋場所、楽しみにしていたのに、横綱が3人も休場。がっかりしたのは私だけではない筈だ。残る横綱は日馬富士ただ一人。何とも冴えない場所になった。相撲協会は何だかんだと言って場所を盛り上げようとしているが、優勝しても横綱がいない場所。実力とは言えない。

 誰が優勝するかは別として、そんな優勝力士にも失礼である。大相撲の世界は上下関係が厳しいが、傍から見ていると馬鹿らしい限り。引退して親方になった元力士が数年もすれば弟子を持つ。

 我々から見ると彼らはまだ社会的には青二才。猪口才なと思ってしまう。勿論まともな社会人もいるだろうが、大半は相撲協会の運営を担うには経験不足。理事になるような人は一般の会社にでも入って修行したらどうだろうか。

 横綱が休場する理由は怪我である。それは至極当たり前で、本場所の数は年に6回。日数は15日。巡業はほぼ毎日。これでは怪我を治す暇がない。何とか考えないのだろうか。

 力士は今や使い捨て。白鵬のように強い力士でも怪我は付き物。今まで怪我がなかったのは抜きん出て強かったに過ぎない。それが体力の衰えが顕著になり、怪我をする回数も増えた。

 確かに大相撲は日本の伝統武術。そこには因習の数々もあるだろう。それは許されることも多い。しかし、何も考えない親方と相撲協会の理事たちの無能さ。可愛い力士を労わってやらない。

 大相撲を美化する風潮があるので、私がこんなことを言うと性格が悪いと非難されそうだが、私を非難する人は力士のことを考えてやったことがあるだろうか。親方や相撲協会は金儲けに狂奔し、自らの利益ばっかりを追い求める。

 大相撲は日本の伝統武術を伝える唯一の競技である。昔は柔道も剣道も空手も全てが古来からの人離れした技量によって支えられてきた。ところが柔道は山下泰裕を最後にそんな技量も廃れてしまった。

 残ったのがただ一つ。大相撲である。この世界は因習に囚われているから、そんな武術の方法が守られてきたのだろう。だからと言って相撲協会が何でも許されると思うとそれは大違い。

 双葉山は69連勝した。当時場所数は2、日数は12だったと記憶している。当然巡業の日数ももっと少なかったことは想像に難くない。当時力士が怪我をしても場所の間に充分に治療をする時間が取れたに相違ない。

 それから場所数がどんどん増えてきて、今や年6場所、15日間。毎日の巡業。怪我をするな、怪我を克服してこそ立派な力士だ。馬鹿を言うじゃない、この青二才。相撲を見ている方でも興味が半減するし、力士はもっと大変だ。

 だいたいあんなに体を酷使すれば筋肉疲労、疲労骨折をするのは当たり前だ。150kg同士がぶつかり合うとどのくらいの衝突ショックがあるのだろうか。もっともらしく大相撲ご意見番と称する輩、考えて相撲協会に物申したことがあるのだろうか。

 大体スポーツ全般に言えることだが、優秀なスポーツマンが必ずしも優秀な指導者になれる訳がない。それなのにオリンピックでメダルを取った人は当然のように指導者になる。そして何の考えもなく、団体を運営する。

 その最たるものが大相撲だ。親方と話をしたことがある人がどれだけいるかわからないが、あの人たちの頭脳は極めて低いのが大半であるし、力士時代に甘やかされているので、人柄も悪い。そんな人たちがどうして現役力士のことを考えてやれるのか、結果は自明の理であろう。

 今からでも遅くない。巡業の日数を減らし、場所数、場所の日数を考えないと大相撲という貴重な伝統武術が廃れてしまう。蒙古人力士があんなに強い理由を考えてもらいたい。

 今誰が力士を志望するのか。私に体の極めて大きい息子がいて大相撲に勧誘されたら、命を張ってでも反対する。それほど力士は酷使されていて、一握りの力士だけがちやほやされる。いい加減にしてもらいたい。国技と称するなら誠実な意見を聞き入れる機構を作らなければならないだろう。親方に任せてばかりでは駄目だ。

酒巻 修平

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