ブログ365日

 新聞には毎日4コマ漫画が掲載されている。毎日だからこれを書く漫画家は相当な天才だと思っていた。自分などには到底真似のできることではない。

 そんなことに刺激されたわけではないが、一念発起してブログを書き始めた。今年の1月末のころだった。

 毎日書くようにしている。職業ではないので、思いつくまま、適当にしかし真面目には書いた。それがこのブログで365項目である。今日は10月13日だから1年経ずして365項書いたことになる。

 考えてみるとあの漫画家と同じことをしたのだと、びっくりしてしまった。私は勿論漫画家のように天才ではない。しかし同じことをしてしまった。

 振り返っても何故できたのかは分からない。1年以内に365項を書こうと計画したのでもない。ただ余計なことは考えずに書いた。

 しかしいつだか、ブログを書いて何になるのか。あまり見る人もいないブログ。観客のいない演奏会のようなものだ。そんなことを考えて書かなかった1か月ほどもある。

 ブログを書いて得たものもある。文章が前より上手くなって、書くのが早くなった。最初のころは書くのに一項一時間も掛かっていたし、見直すと誤字脱字、不適当な「てにおは」のオンパレードだった。

 それもなくなり、机の周囲も整理整頓された。自分の能力、性向、人の考え方も少しは理解できる。

 何故できたか分からないと書いたが、理由を考えてみた。私の好きな言葉に「馬鹿さ加減を持つ」というのがある。それだと思った。

 人は考え、記憶し、直感する。しかし考えないこと、記憶しないことそして直感しないことも必要なのではないかと思い当たった。

 私にもストレスがある。その所為だと思うのだが、不整脈を患っている。何故不整脈があるのか。どうしてストレスがあるのか。

 何か思い悩むことがあるのだ。それは考えることで発生する。そうすると考えなければ良いのだ。大概、生活や命に別状がないことを考え、思い悩んでいる。

 猫にはストレスがあるのか。犬はどうか。犬は飼い主に構ってもらえないとストレスになるかも知れないとは思う。しかしこの状態(病気ではないだろう)は人間の専売特許のような気がする。

 野良猫や野良犬は餓死する危険がある。しかし悩まない。懸命に食料を探す日々があるだけだ。

 人は彼らより良い生活を送っている。それは人の脳が彼らの脳より優秀だからだ。しかし無駄に考えることにより良くないことを発生させてもいる。

 人の脳が優秀なら考えない能力も持っている筈だ。私はブログを書くについてはあまり考えなかった。考えたときは書けなかった。それが能力だ。

 昔から人は考えない努力をしてきたようだ。それが座禅であり、宗教なのではないだろうか。私の好きな「馬鹿さ加減」もこんなことなのだろう。

 座禅や宗教を持つことは誰にでもできることではない。そうであるなら趣味はどうか。趣味に打ち込めば、無駄なことを考えなくなるかも知れない。

 そうでなくても方法はあるだろう。考えると駄目なら、考えることから脳を逸らせば良いのだ。何でも良い。自分が好きなことに没頭すれば良いのではないか。

 考えないことは考えるより困難だから、人生にはストレスがある。考えないようにするには違うことを考える。脳は優秀でも二つのことを同時に考えることができない。

 脳は人が神からもらった贈り物だ。それは宝の山である。それを研磨するか、悪のために使うかはその人に与えられた自由である。

酒巻 修平

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