世界経済の行末

トヨタ自動車は私たちが学校を卒業するころ、すでに車の製造、販売以外のビジネスを模索していた。これは同社に入社した友達から聞いたことだが、同社はそんな要請から住宅の建設に乗り出した。それがトヨタホームだが、彼らの規模からすると小さいながらも好成績を上げる企業に成長している。

 しかし車のビジネスがずっと好調であったことも幸か不幸か、その後新ビジネスの開拓を止めてしまった。今次世代用の車の開発競争が盛んであるが、それに成功しても結局は買い替え需要を賄うに過ぎない。

 まだアフリカや中国には市場が残っているが、ビジネス進行のテンポが速く、近いうちに新規購買市場は姿を消す。そうなれば買い替え需要はあったとしても会社の規模の増大は見込めなくなる。

 この見通しは単にトヨタだけで収まるものではない。GMもフォード、BMB,ベンツ全ての自動車メーカーを襲う現象であるに違いない。現に日本では新車の新規の販売は消滅しようとしているし、トヨタとしてのビジネスの主戦場は日本ではなくなった。

 そうするとトヨタがやらなければならないことは他のライバル会社のシェアを食うことだ。生き残る会社がどれほどあるか予想はまた別の観点の問題であるので、ここでは触れないが、自動車メーカーの実質的な数は減る一方になるのは目に見えている。

 これは自動車だけの問題ではない。家電、交通その他全てのビジネスの将来像であることは間違いない。日本もかつては下請け国であり、経済発展とともにその役目を韓国、中国へと移譲していった。

 経済的に発展するとどうしても賃金が高騰して、もうその国で物を生産する魅力はなくなる。今や中国がそんな状態に入りつつある。他の要因はあったにせよ、今や中国は世界第二の経済大国ではない。日本がその地位に返り咲いたのだ。

 下請け国は日本→韓国→ベトナム、インドネシアと移っていき、それらの国でもいずれは賃金の上昇とともに下請け国ではなくなるだろう。その次はアフリカか、インドか、どちらにせよやがては労働賃金の低さを求め彷徨い歩き、やがてまた技術力に回帰する。

 人は原始時代から食料や物を求めてあらゆる努力をしてきた。それがだんだんと満たされるようになって、我々が生活するには何不自由のない社会が現出した。経済的にみると現出してしまったと言うべきこの状態が続くとどうなるのか。

 科学や技術は永遠に発展していくのか。人の能力には限度があるので、そうとも言い切れない。学問的には相対性理論から量子力学さらに生命科学と進んでいったが、果たしてそこには果がないのか。そんなことはあるまいと思う。

 今は貧富の差があり、富を求めて人は努力をする。それは一面活性的であるが、それが平準化してくるとその努力も払われなくなる。全ての人がある程度の富を持ち、更に求める努力をやめる社会はどんな様子を示すのか。想像するだに恐ろしい。

 世界は上げて規制緩和を叫んでいる。これは富を偏重させる政策である。しかし富を持つのは個人ではなく、組織だ。人は富まない。社会を別の角度からみるとこのように見えるが、それも達成されると今度はその状態の崩壊が始まり、やがて社会や経済、人間のエントロピーは増大し、動かない社会が出てくるのではないだろうか。

 全ての人が車を持ち、食料が充分にあり、どの家庭にも家電が揃っている。日本は例外を除いてそんな状態である。どの国も多かれ少なかれそうなるのであろう。そこにはもう精神力を発揮する場面がなくなり、人々は無気力になる。日本人も4,50年前と比べれば物が充足されるに従ってそうなってきた。

 今の経済発展は人為的なものである。それが進む先には何が待っているのか。人は努力目標を失い、不活性になるだろう。反対に寿命は長くなり、個々人に取っての幸せは社会全体から見ると両手を上げて賛成するには躊躇することである。。

 そんな社会が現出するのはあと30年もあれば充分だろう。そのときの物心両面の備えはあるのだろうか。戦争さえ懐かしい昔の話になるだろう。

酒巻 修平

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