忘れ得ぬ人々 - 山口先生

  家庭の経済的理由から私は中学2年生から新聞配達のアルバイトを始めた。朝4時に配達所に行き、受け持ちの200部くらいの新聞を受け取り、大体2時間くらいで配達を終了する。

 書けば簡単だが、朝4時というのは中学2年生にはきつい。それに200部は結構な重さがあった。私は生まれつき喘息という持病を持っている。当時配達は全て徒歩でやっていたので、発作が出ているときなどは地獄のような苦しみを覚えたものだ。

 プロの人は自転車で回っていることもあるが、配達人は若い人が多く、全員が徒歩だった。それを考えると今は楽かも知れない。

 朝4時に配達所に行くには3時過ぎに起きなければならない。眠い。配達を終わると6時くらいだから家に帰って一眠りをするが、学校が始まるのに合わせてまた起きなければならない。

 寝不足だから、授業中は居眠りをしたり授業を聞いたりの繰り返しで、習ったことなどなかなか覚えられない。居眠りはするわ、質問には答えられないわ、劣等な生徒だったと想像する。

 ある日英語の山口という先生が私に質問した。「酒巻、寝るは英語ではなんと言うのだ。」今から考えると先生は「sleep」と答えさせたかったと思われる。前回の授業のときにそんな単語が出てきたと頭の片隅にはあるのだが、思い出せる筈がない。

 困った私は仕方なく知っている単語を並べた。「go to bed」。通じない訳ではないだろうが、ちょっとニュアンスが違う。苦肉の回答だったが、劣等生徒にはそのくらいが関の山だ。

 先生は顔の表情を少し変えられたが、私の方に近づいて来られ、「偉い、それは正解だ」と言われ、何を思ったか、私の顔に自分の髭面を擦り付けられた。私は褒められたと思い、何だかその山口先生や英語が好きになり、それから英語だけを猛勉強した。

 誰でも覚えがあるだろうが、好きな先生の学科は勉強するものだ。私もこの伝で英語だけは勉強した。数学や国語、社会はまるっきり駄目で、義務教育の中学校だから卒業できたのだろう。

 3年生になったら英語の担任の先生が変わった。この先生も面白い人で、京都の大学でラグビーばかりやっていて英語などからっきし駄目だというのは後で分かった。でも必死に英語を勉強する私は授業中何度も質問をする。

 その度に困ったような顔をされて、何とか答えを探すのだが、私には先生の説明が良く呑み込めない。ある日先生から職員室に来いと言われた。職員室は生徒には怖いところ。大勢の先生がいるので、入るのにも足が竦む。

 今の中学生はどうか分からないが、そんな雰囲気のある職員室におずおずと行くと、その先生が立ち上がって出て来られた。これで室内に入らなくても良くなったが、何故呼ばれたのか分からない。

 先生は廊下の隅に私を連れて行き、「酒巻、お前もう授業中、質問をするな。俺は大学の時、ラグビーばかりやっていたので、お前の質問には答えられない。その代わり全部「5」をやる」という交渉。「5」は5段階評価の最高点だ。私はその交渉に一も二もなく乗った。

 その先生の包み隠さない態度に好感を持ち、益々英語が好きになった。そして大学は語学系の大学。入学試験に合格するとその先生の家に報告に行ってビールをご馳走になった。

卒業すると貿易部に所属が決まった。でも上司はお前の書いた英語の主語は全部「we」ではないか、もっと勉強をしろと言われ、社会の難しさを痛感した。だんだん英語は上手くなっていったが、サラリーマンとして10年務めた私は33歳のときに会社を興した。

 事業内容は輸入卸販売。これも英語が何とかできるからだ。今もその事業を継続している。あれから50年以上。あのとき山口先生が髭面を私に擦り付けなければ私の人生は変わっていたと思える。人の一生はどのようにして決まるのか本当に分からないものだ。

酒巻 修平

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