快感、癌、リハビリ、美感

  一見何の関係もないようなこれらの事柄は全てあるキーワードで繋がっている。

 生物の定義は前にも書いたが、自己複製をする系である。非生物では起こらないような複製を自分で行うことができる系が生物だと言って異論はないだろう。勿論生物を定義するには他のやり方もあるだろうが、この定義は生物と非生物を区別する手段には間違いがない。

 子孫を残す、即ち、自己の複製を作るには自己の生を保たなければならない。その爲には外部から物質を取り入れて自分の体を保つ。体内でも新陳代謝という自己複製が存在する。

 この垂直的な子孫を残す自己複製と水平的な新陳代謝は互いに関連しながら、進む。その副産物として進化という事象も発生する。

 人は幸か不幸か脳が巨大になるという進化を遂げた。何故そうなったかという理由や機序は解明されていないが、台風の目が大きな台風に成長するように人の脳の発達は極めて小さな出来事からの結果ではないか。

 生物は自己複製するために生きていると言える。その爲には自分の生を保たなければならない。だから人以外の生物は食べて、寝ることだけが生の全ての期間に亘ってやることだ。そして異性と子孫を残す作用を行う。

 しかし人は違う。脳が巨大に発達したので、この脳を生かす必要が生れた。脳を使って脳を楽しませなければならない。人は効率な食物の摂取、健康な体の維持など生に関することだけではなく、文化の創造、戦争、恋愛、喜怒哀楽など様々なことに脳を使っている。

 人の体躯、内臓、脳自身も脳がコントロールしている。しかしコントロールするには内臓などからの状態のフィードバックが必要だ。空腹になれば胃はその状態を脳に教え、脳は体が食物を摂取するように働き掛ける。

 男女が性行為を行うと快感が発生するのは脳が発達したからだ。生物が下等になればなるほど快感を受ける度合いは少なくなるだろうし、植物が受粉で快感を覚えるとは思えない。

 癌は新陳代謝の時の複製の間違いから起こる。癌が発生すれば脳は免疫系に指示して癌を消滅させようと努力をするが、癌は何しろ外から来たものでなく自己の細胞の集まりであることから免疫系を働かせることが難しい。

 脳梗塞などで手足が動かなくなるとリハビリをしなければ永遠に障害が残る。非常な努力をして最終的に元の状態に四肢が復することを目的とするが、ここでも脳が関係する。四肢の状態が脳に伝えられ、脳が反応してくれればそれで良いのだが、その脳が損傷している。リハビリは脳の修復を目的としなければならない。

 人は美を何故、如何にして感じるかということを解明する努力がなされているが、それに成功したということは聞いたことがない。何故美を感じなければならないか。それは生物に取って必要なことかどうかは分からない。しかし人は確実に美の意識を持っている。人により小さな部分では差があるが、どうも人の美意識には全体的に一つの核があるようだ。

 私は机に座ったまま日に何度も体温を測ったことがある。体や気持ちの状態は変わらないのに、5分もすれば0.5度くらい体温が違うことがある。どうしてなのか事実は分析できないが、人の脳はそんなに的確にコントロールすべきことをコントロールできていないような気もする。

 このことには随分時間を掛けて考えたのだが、ひょっとすると病気の原因はこんなところにあるのではないかと思い当たった。正しくはないかも知れないが、

人の体は全て脳によりコントロールされているのであれば、自分の考えがあながち全くの見当違いとも思えない。

 病気にならないようにする、あるいは少なくても病気になる可能性を少なくするには脳自身をコントロールする必要があると思える。

脳は胃や肺やその他の臓器のように一つではない。部分部分で役割が違うと証明されている。それでは脳をコントロールする部分がどこかを知りたいが、分からなくても脳をコントロールしようとする意思があれば少しは脳もコントロールすることができるのではないだろうか。

酒巻 修平

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