歩くことの知られざる効用

  人の体の制御は脳からの指令によって行われている。例えば胃が空になったときはその状態が胃から脳にフィードバックされ、脳が体の各部署に命令を出して水や食料を胃に送り込むための必要な作業を統括する。

 脳の思考を司る部分が脳の他の部分に電気信号を発しそれぞれが何を食べるか考え、あるいは食卓に出された食料を食べる動作を行う。空腹感がそれほどではない場合はまだ食べる動作を行わなくても良いと判断することもある。その時はそんな食料を摂取する行動を取らないと判断するだろう。

 しかし生物は自己の体の生を保つためには外界にある空気や紫外線その他諸々のものを摂取し、要らなくなったものを体外に排出する。これを置換というが、この行為がなければ一瞬たりとも生きていけない。

 体内(医学的には体外と称する胃や肺などがあるが一応体の中にある機関は全て体外として扱う)に物質を取り入れるのは簡単な作業であるが、体内に入ってからは複雑で、精緻なやり方(機序)で体が利用する。

 取り込まれた空気の内の酸素は血液を浄化するのに使われるし、蛋白質は分解されてエネルギーを生み出したり、寿命が来た細胞を複製するのに使われたりする。紫外線や宇宙線、日光の熱、光は体の調子を整え、また体内の化学反応を促進する触媒としても使用される。

 体の制御作用は複雑でしかも正確でならなければならないと同時にスピードを要するので、脳からの指令は電磁的にデジタル的に行われる。その命令を受けた各器官は電磁信号をアナログに転換し、酵素を作り出し、蛋白質を体の要求に基づいて分解した上再合成する。

 そんな作業が上手く進行しているか、必要量が確保されているか、あるいは病原菌は入り込んでいないか、腐敗物が混じっていないか、おできや癌が出来ていないか、あるいは筋肉疲労が発生していないか、そのような全ての良悪全てのコンディションなどが脳にフィードバックされる。この情報はまたデジタル信号に変換されて電磁信号でなされる。

 このような各部署からの膨大な情報に接し、それに対する処置をする脳は極めて多忙である。脳は自分自身が新陳代謝を行う上で栄養や酸素その他各器官と同様な物質を必要とするが、自分の役目を果たす上で必要なものは充分な血液と電磁気である。

 脳からの複雑な指令はデジタル信号でなされるので、脳には多量の電磁気の供給を求める。電磁気の一分は体外からも供給されるが、主として体自身が作りださなければならない。

 電気は静電気の形を取っている。分かっている通り静電気はもの同志が擦れると発生することが多い。体内では心臓が鼓動したり、血液が流れたりするとき他の部分との擦れ合い、血液と血管の摩擦などによっても作りだされるが、一番手っ取り早いのは運動により体を動かして、筋肉や骨同士の摩擦である。

 運動とは筋肉の新たな経験であると定義されるので、毎日通勤などしている人に取って普通の速度、距離を歩くことは運動にはならない。もっと長距離を歩くか、スピードを高めるか歩き方を変えて筋肉の常なる動きと違うことをしなければならない。

 では普通にいつもの通りあるくのは体に有益なことはないかと言うとそうではない。上に書いたように脳は特に多くの電磁が必要である。だから寝たきりになると必要とされる電磁気の量が激減する。当然脳の働きは弱るのである。歩くことは多くの電磁気を発生させるという上で極めて必要な行為である。

 有名なソクラテス達は逍遥学派と称されることがある。皆で何かの命題に付いて語るときは歩きながら考えた。それは歩くときの足、脚の摩擦で電磁気を発生させ、脳を活発に動かすことにあった。

 ソクラテスたちはこんなことを気が付いていなかったろうが、我々も何か考えるとき歩くとヒントを得ることができることは誰もが経験しているのではないだろうか。

 普通に歩くことは運動にはならないが、脚の摩擦により脳が必要とされる電磁気が発生するという意味では人が健康でい、物を考えるためには極めて有効である。人は農耕が始まるまでは移動することが多かったと思われるが、こうして足を使い、脳が他の動物より発達したのである。

酒巻 修平

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