安田純平氏の解放

  安田純平氏が解放され、家族の方初めメディアの報道を視聴した多くの方は安堵をした。

 彼が何故誘拐されたのかは分かっていないが、一種の誘拐ビジネスの犠牲になった可能性も高い。

 誘拐ビジネスを営むなど許されざる一団は厳然と存在している。これまでも日本が関わった事件も少なくない。 

 何年か前、報道されたように後藤さんたちなどは不幸にも殺害されてしまった。

今回安田氏が解放されるについては身代金が支払われた可能性も否定できないし、過去にはそんな事例があったことも事実である。

 仕事とは言え、危険地帯に赴く人はそれなりの覚悟があったに違いがないが、そんな危険を冒す必要があったのかと首を傾げる事案もあった。

 もし身代金が支払われていたとすればそれは我々が支払った税金を原資にしている。解放されたことは喜ばしいことだが、こんなことに税金が使われることに疑問を感じる人もいるだろう。そういう意味では安田さんは国民に多大な迷惑を掛けたことを肝に銘じなければならない。

 身代金を払うと解放されることが明白な場合はこれまでも日本は凶悪な犯人の要求に応じてきた。日本は甘いと思われていないだろうか。

 確かアメリカは身代金の要求には一切応じないと宣言した筈だ。そうでないといつまでもこんな不当なことが繰り返される。

 日本ももう身代金の支払いを拒絶すればどうだろうか。危険地帯に行く人はそれなりの覚悟をして行ってもらいたいし、不幸にして拉致されたらもう殺害されると考えなければならない。

 政府は国民に危険地帯を明白に発表して、渡航を禁止するくらいの措置を取ることが必要ではないのだろうか。

 拉致した人を殺害するのかどう扱うのかは不明であるが、少なくても身代金が取れないと思うだろう。

 そうすると日本人の拉致の事案は極端に少なくなる。そうでなければいつまで経っても日本人は拉致され続ける。

 それにしてもどうしてイスラム教徒は互いに殺し合いをするのだろうか。そんなことをするキリスト教徒は少ないし、仏教徒も同様だ。イスラム教は結果として残忍な精神を植え付けるのか。

 そんな人はイスラム教徒でも一部であるのは当然であるが、他の宗教を奉じる人にはそんなことがないのはどうしてだろうか。

 イスラム教を創始したマホメッドは今の状態を知ったらどのように思うのか。賛成するのか厳しく禁じるのか。同じイスラム教徒でも宗派が違えばそんなに憎み合わなければならないのか。他の宗教を信じる人には理解ができない。

 宗教は人の精神に強く働き掛け、精神の安寧を与えるものだ。それが宗派に違え、同じ宗教を信じる人同士が殺し合いまでするとはどういうことだろうか。

同族を殺す動物は人しかいない。ライオンが他のライオンを殺すことはない。縄張りに侵入したライオンを追い払うための争いは発生するだろうが、殺したりはしない。

 人は他の動物と比べ一面極めて残忍である。いつになると人が同賊である人を殺さない日が来るのだろうか。

 戦争がなくなっても殺人はなくならないだろう。それは防ぐことができないのか。人が持つ頭脳をもっと良いことに使えないものだろうか。

今回の安田氏の事件は色々なことを我々に考えさせる。もうこんなことは御免だと人は思っているだろう。

酒巻 修平

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