今日の言葉
イソップ寓話より引用
311)ゼウスと動物と人間
人間は皆、理性的存在として神から名誉を与えられているのに、その名誉に気づかぬばかりか、感覚も理性ももたぬ動物を羨む者もいる、ということ。 伝えられるところによると、原初、動物が創られた時、ある者は強さ、ある者は速さ、ある者は翼というように、めいめい神の恵みをいただいた。ところが人間は裸のままに置かれたので、「私だけ恩恵に与れぬまま放っておかれた」と訴えた。するとゼウスが、「最も大きなものを授かっていながら、その贈物に気づいていないな。お前は理性を手に入れているのだ。それは神々の世界でも人間の世界でも力をもち、強きものよりもなお強く、最も速きものよりもなお速いものなのだ」と答えた。ここに至って人間は贈物を知り、路拝し感謝を述べて立ち去った。
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
タイトル
自由気ままに生きている犬や猫を見て、「君たちは悩みもなく、お気楽でいいな。自分も犬や猫になれたら」と思ったことはありませんか?
将来に夢を描いたり、過去を後悔して苦しんでいる動物を見かけないのはなぜでしょうか。それは、人間にだけ想像力と理性という能力が備わっているからです。
人間は想像力で未来を描いたり、他者のことを考えたりできます。また、理性があるからこそ、本能的な欲求に対しても自己をコントロールし、社会を維持できるのです。
しかし、最近は想像力も理性も劣化しているように感じます。
想像力が低下すると、後先考えずに行動してしまいます。理性がないと、自分さえ儲かれば他者はどうでもいいという発想になってしまいます。
想像力も理性も劣化すると、人間も動物のようになっていくでしょう。それこそ、弱肉強食で強いものだけが生き残る世界になるかもしれません。
しかし、そんなことを神が許すでしょうか。
人間に与えた想像力と理性を使えないのであれば、そのような存在は不要だからです。
イソップ寓話集の「ゼウスと動物と人間」を読んで、このようなことを感じました。