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冬があるから春が来る

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今日の言葉

イソップ寓話より引用

271)冬と春
冬が春をからかって、こんな悪口を言った。春が来たとたん、もう誰もじっとしていない。百合などの花を摘んだり、薔薇を額の飾りにしたり挿頭にするのが好きな人は、野原や森へと繰り出すし、また別の人は、船に乗り海を渡って、どこでもよい、よそ人の所へ行こうとする。それに誰も、風のこと、豪雨のもたらす大水のことなど気にもかけなくなる。それに対して、と冬は言葉を続けて、「私は有無を言わせぬ王のようだ。空を仰ぐことなく、地面に目を伏せ、恐れ震えていさせてやる。時には、終日家に塾居するも止むなし、と思わせてやる」と言えば、春の言うには、「だからこそ、人間は君が去れば喜ぶのだ。私はといえば、その名だけでも美しいと人々に思われている。まったくのところ、世界一美しい名だ。それ故、私が去っても人々は覚えているし、戻って来ると歓喜するのだ」【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】

冬があるから春が来る

冬は「人間の行動を抑制する」ことにプライドを持っているようだ。

そのため、春になり人間が自由に動き出すことを、冬は春に対して批判した。

一方、春は「人間から美しいと思われること」にプライドがある。

そのため、人間に感謝されることに、春も喜びを感じている。

そもそも、冬と春では価値観や考え方が異なるので、口論すること自体が無意味である。

しかし、このように考え方が合わないとき、相手を排除しようとすることがある。

例えば、春が「冬は邪魔だから排除すべきだ」と考え、四季から冬を取り除いたとする。

春は、これで人々がより春を謳歌するだろうと期待する。

しかし、結果は逆であった。人々は春を謳歌するどころか、春の存在自体に気づかなくなってしまったのである。

なぜなら、冬の厳しさがあってこそ、春の暖かさに人は喜びを感じていたからだ。

結局のところ、価値観が異なること、考え方が違う存在も、時と場合によっては必要なのである。

特に、対極的な存在の中から答えを見出そうとするときは、なおさらである。

イソップ寓話集 の「冬と春」を読んで、そんなことを感じました。

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