西洋と日本の文化

奈良時代辺りまでは朝鮮を通じて中国、朝鮮などの文化が往来し、その影響を日本も多いに受け、文化にも反映されていた。

 しかしもともと島国であり危険も伴う海外との交流は決して多くなく、平安時代ころになると文化的には孤立するようになったのが日本である。

 そうなると影響を受けて発達した文化も独自性を持つことになり、江戸時代が終わるまで日本の文化は極めて特殊なものとなるのは自然の成り行きであった。

 そうは言うものの海外との交流が完全に消滅した訳ではなく、長崎を通じて江戸時代には微かながらも西洋、中国の文化も入ってきていた。

 もともと日本の文化には中国の文化の影響が大きかったので、中国の文化の影響をさらに受けることには抵抗はさほどなかったと言える。

 しかし西洋は西洋で中国や日本と全く違う精神構造を持ち、その文化を具現化された事物を日本は驚きを持って接したと考えられる。

 鉄砲に代表される火器はその最たるものである。あるいは電気など人力でない機械動力パワーは利便性の点からも大いに重宝された。

 日本人は感受性の豊かな民族である。新奇なものに対する興味は大きく、却って文化を損ねるような西洋の文化を受け入れるには積極的過ぎた。

 絵画、文学、音楽、生け花などはその最たるものである。明治になって本来は日本の方が先進的あるいは高度であったのに関わらず西洋の文化を取り入れることを越えて模倣に走った。

 今周りを見回してみよう。建築、インテリア、機械など見る全ては西洋の発明品を元にしている。

 ところが江戸期の文学を読んでみるとその文章の美しさ、使われる言葉の適正さ、奥深さは明治期以降の文学の比ではない。夏目漱石、谷崎潤一郎、志賀直哉その他の文豪の文章といえども式亭三馬、松尾芭蕉、十返舎一九などとは比較にならないほど西洋的かつ模様的である。

 さらに日本が第二次世界大戦に敗戦してアメリカの政策を受け入れなければならなくなってからその傾向は著しい。

 日本伝統の文化、武芸はだんだん消滅の方向へ向かっているように思える。これは一つには西洋文化が利便性に富んでいるからだ。しかし美しさを軽視しているとも思える。

 確かに西洋式建物は便利である。住むには日本家屋より使い勝手が相当優れている。しかし失われたものも多い。

 人工物の特徴は直線である。宇宙にはこの直線というものはない。従って人類が文化を創造したとするとそれは直線を基本とするのは止むを得ないだろうが、曲線の持つ美しさを失ったことは悔やまれる。

 日本の文化に基づいた文物にはこれがある。家屋内の窓一つを取っても容易に分かるだろう。最近まで日本家屋の部屋の窓は丸窓であり、特殊な形をし、曲線が基本を占めていた。

 生花とフラワーアレンジメントを比べても分かる。やはり曲線と直線が基本になっていて、作品の奥深さは生け花に軍配が上がる。

 その日本古来のものが消滅しようとしているが、それが如何に人類の損失であるか日本人で理解している人は少ない。

 むしろ西洋人の方が第三者的に眺める分、それを惜しんでいるように思える。どうして日本人は新奇のものばかりを珍重するのか。

 日本人の感受性の高さと言ってしまえばその通りであるが、もうすこし「鈍」である部分も必要ではないだろうか。

 自然には直線がなく日本の文化物もそうであれば人がそれを受け入れるのは精神を安らかにするだろう。何故なら人は自然の中に暮らしているからである。

酒巻 修平

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