猫に小判?

 近所には野良猫が沢山いる。何軒かの家では可哀想に思うのか餌をやるので数が増え、我が家の庭にも入ってくる。多い時は一度に8匹も見たこともあり小さな庭は猫の運動場になった光景を呈している。

 そのうちの一匹が特に頻繁にやってきて我々家族に愛想を振りまくものだから可愛く思い時々餌をやるようになった。

 その猫はまだ子猫だが子供を産んだ。6匹いる。子猫がどうして子供を産むのか不思議だったが生後8か月くらいから出産が可能だと獣医に教えてもらい納得がいった。

親猫になった子猫は大切そうに子猫を守り窓のそとの容器に入れていたが何度か場所=住居を変えた。だが気の毒に生まれた子猫は一匹、また一匹と死んでゆき一匹も残らなかった。

野性の動物の過酷な運命を目の前にしたのだが聞くところによると野良猫の平均寿命は2,3年だとのこと。すると我が家の庭に住み着くようになっていた親猫だった子猫も短命なのだろうと哀れになり切ない情が湧いた。

そこで先ず不妊手術を施してやろうと費用などを調べると中でとても親切そうな女性の獣医がいて、その説明によるとこの区では他区には例がないほど助成金が沢山出るとのことでそこに猫を預けた。

手術後もしばらく入院しなければならない。今その期間は忘れてしまったが一週間くらいだったと思う。その病院では入院費用も取らない。それで引き取りに行ったのだがもう情が湧き過ぎていてとうとう我が家で飼うことにした。

名前は「たま」。買い始めてから6か月猫はまだ自分の名前を覚えることができない。でも「たま」と呼ぶと反応はする。名前を憶えているのではなく声のトーンを覚えたのだと思っている。

実は不妊手術の際獣医が調べたところ再度妊娠していたと分かり、これまたびっくり。水子は丁寧に葬ってもらった。猫の妊娠能力の高さに驚嘆したものだ。

我が家の飼い猫になった「たま」は用を足すとき窓を開けてくれとせがみ庭に出る。室内でも猫用トイレを用意してそこも使用するようだが主として庭がトイレである。

「たま」は二回も親になったがまだ2歳になっていない子猫である。だから遊びたい。獣医の話では不妊手術をした雌猫は子猫の気性が抜けにくいらしい。

後ろ足(犬では後ろ足と前足の太さがあまり変わらないのに猫では後ろ脚の太さは前足の3倍以上ある)が強く自分の何倍もの高さがあるダイニングテーブルなど簡単にジャンプアップしてしまう。

下をくぐるより簡単なのかテーブルの向こう側に移動したいときは必ずそうする。高さ2m30cm以上もある書棚の上に行くときもピアノの椅子、ピアノをあっという間に経由して上に達することができる。

「たま」は人に構って欲しい。私がコンピューターに向かってキーボードを叩いているとその上に乗りディスプレイには訳の分からない文字が表示されることも度々。

その「たま」が好きなのが紙。とくに飴の包み紙を丸めたものは格好の標的である。手で引っかけるとシャリシャリと音がするし軽い。それを手で飛ばししばらく遊んでいる。

何かのことで1000円札をテーブルの上に置いたところ初めてのものだから珍しそうに見ていたと思うと弄りだした。でも動かそうとはしない。

猫に小判という諺があるが小判は重いので江戸の猫に取って小判は無用の長物でしかなかったが、1000円札は違う。軽いので簡単に動かすことができる。

そこに油断があった。1000円札は理由があってテーブルの上に置いておいたのだがしばらくして見るとそれがない。方々探したが見つからない。考えられることはただ一つ。「たま」が遊んでどこかにやってしまった。

私はそうして虎の子の1000円を紛失し「猫に1000円」という新しい諺を創出した。

酒巻 修平

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