元気な人は老人に席を譲らない

 電車に乗り、座る座席がない時、老人はとても疲れる。歩いている方がましで、脚はバランスを取るのが大変だからだろう。

 時間によっては小学生、中学生、などが下校途中で電車に乗り込んでくる。友達と一緒の時が多く、有名校へ電車で通っているとみえる。

 皆元気だ。その子たちを見ているとこちらも元気をもらえるようで、楽しいが、席が空いていると友達と一緒に席を占め、その後年寄りが乗ってきてもゲームや話しに夢中で乗ってきた老人に関心を向けない。

 私も年を取っているが、気持ち的には老人でないので、席を譲ってあげようと思うが、どうも譲ってもらう方も、譲ってくれる私の年齢を推し量って、遠慮をすることが多い。

 この間年取った女性に席を譲ってあげたら、脚が悪いと言ってとても感謝された。そんなことで2,3話しをすると何とその女性の年齢は私より10歳も下だ。

 どうもある程度の年齢になると人によってとても年を取って見える人と、案外若く見える人の差が大きいようだ。

 小学生の子たちは元気だ。それなら年を取った人に席を譲ってあげれば良いのにとか、最初から座らなければ良いのにと思うが、どうも最近はスマホゲームをしている子供も多く、席に座ってやる方が何かと便利なようで、老人や他の人には目もくれない。

 元気な人は疲れを知らないので、電車に乗っていて疲れる人のことが分からない。人は自分を基準に物を考え、感じるので、老人に席を譲るという考えが自然に頭に浮かぶことはない。

 だから小学生や中学生が老人に席を譲ったのは見たことがない。仕方がないと思う反面、何かおかしいとも思う。

 原因は道徳教育が存在しないのだと考えている。私はまだ頭が若い積りでいるので、こんなことを持ち出すのはあまり好まないが、理屈を考えるとどうもそこに行き着く。

 我々が若い時にも道徳を学校で教えるということがなかったと記憶しているので、社会全体に道徳心が色濃く残っていたのだろう。若い時は席が空いていても座らなかった。

 小学生の子供の親もまだ若いし、戦争なども知らない。苦労をしていない人は苦労をしている人の気持が分からない。だから助け合うという精神を持っていないようだ。今の若い人はあまり苦労なく育ったので、他人の苦労は理解できない。

 一面仕方のないことだと思うが、どこか割り切れない。私は3回電車内で、席を譲ってもらったことがある。譲ってくれた人は全て外国人、それも発展途上国の人のように見えた。

 その人たちは苦労をしているのであろうか。それとも道徳教育が自国に存在するのであろうか。私は席を譲ってもらいたいほど疲れてはいないので、そんなことをされるとちょっと照れ臭い。

 ある環境にいる人のことを分かるのは、同じ環境にいる人か過去に経験した人だろう。理屈では分かっても経験がないと本当には分からないから、妥当な対策が取り難い。

 会社を経営したことのない人は社長の気持が分からないし、中小企業に勤めている人は大会社の社員の気持は分からない。

 病人は医師の気持を読めないし、政治家は一般国民の要望を的確に吸い上げるのは得意ではない。

 安倍総理は良く働き、私には好きなタイプの政治家だが、5月の10連休のことには驚いた。国民に多大な迷惑を掛けてまで、新しい天皇の即位を祝わなくてはならないのか。安倍さんは裕福に育ち、周りが見えないのだろうか。

民主主義の世の中それは「NO<」だろう。どうも安倍さんの賞味期限が終わったように思えてならない。

社会を良くするには結局は頭で相手のことを考え、実践して、少しずつ修正を加えることが大切だ。子供には人に親切にする心を育たせなければならないだろう。

 これが文化というものだと思う。そんな文化が日本だけではなく、世界中から失せていくように思えてならない。アメリカがリードする今の世界のアイデンティティは金だ。如何に人に親切にするかではない。

 経済的にはリードされても心までリードされる必要はない。これが正しいと思えることを勇敢に実行することが国を富ませ、翻って自分の経済も心も富ませる結果になると思うのだが。

酒巻 修平

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