今日の言葉
イソップ寓話より引用
194)猟師と鸛(コウノトリ)
猟師が鶴の網を張って、獲物がかかるのを遠くから首を長くして待っていた。鶴と一緒に鸛も降りて来たので、猟師は駆け寄るなり、一網打尽に捕まえた。鸛が逃がしてほしいと頼み、自分は人間にとって無害であるばかりか有益この上ない、蛇をはじめいろいろ這うものを捕まえて殺すから、と説明したところ、猟師の言うには、「たとえお前がそんなにひどい奴ではないとしても、悪い奴と一緒に降りて来たということで懲らしめに値する」 そこで我々も、悪事の片棒を担いでいると思われぬよう、悪人との交わりは避けなければならない。
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
美味しい話を持ちかける人とも関わらない
古代ギリシャの農夫は、穀物を食べる鶴を憎み、コウノトリを保護の対象としていたそうです。
近年、振り込め詐欺などの犯罪が横行していますが、詐欺集団は組織化され、リスクの高い末端の受け子には普通の学生などが多く携わっているようです。
では、なぜ普通の学生がこのような犯罪に手を染めてしまうのでしょうか。
「楽に稼げるバイトがある」と誘われたり、「気づいたら借金を背負わされた」「弱みを握られた」など、様々な背景が考えられます。
しかし、どのような事情があったとしても、犯罪に加担した時点で犯罪者となってしまいます。
多くの場合、若者が何らかの「美味しい話」に乗ってしまい、気づいたときには逃げられなくなり、犯罪を犯してしまうのではないでしょうか。
イソップ寓話の「猟師と鸛」は、「悪事の片棒を担いでいると思われぬよう、悪人との交わりは避けなければならない」ことを教えています。
しかし、現実世界では明らかに悪事を働いている人を避けることは容易ですが、一見良さそうな人が悪事を働いている場合、気づかないうちに悪事のチームに取り込まれていることがほとんどです。
そこで、現代社会においては「美味しい話を持ちかける良い人」とも交わりを避けることが新たな教訓となるでしょう。
なぜなら、本当に美味しい話があるのであれば、他人には容易に持ちかけないものだからです。
イソップ寓話集の「猟師と鸛」を読んで、そんなことを感じました。