和を以て尊しとする?

 日本または日本人には「和を以て尊しとする」という他と争いをせず、話し合いでトラブルを解決するあるいは少々のことには我慢する立派な考えがあると言われる。

 それが故に他国からいわれのない非難を受けてもできるだけ「和」の精神で解決するのだという自国自慢を良く見聞きする。

 本当にそうだろうか。歴史を紐解けば何が事実だか分かるというものだ。知り得る限り、大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱、蝦夷征伐、平将門の乱、保元、平治の乱、源平合戦、応仁の乱、川中島合戦、三方が原の戦い、本能寺の変、豊臣秀吉の朝鮮出兵、関ケ原の戦い、由井正雪の乱、伊達騒動、赤穂事件、異国船の打ち払い、大塩平八郎の乱、薩英戦争、戊辰戦争、自由民権運動、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、二・二六事件、満州事変、太平洋戦争など争いの名前も覚えている戦い以外に中小の戦争などが無数にあり、藩や国は絶えず戦い、百姓一揆などでは民衆と統治者との戦いがある。

 近隣同士では必ず諍いが起こり、企業間の裁判、兄弟、姉妹の相続権争い、子供の親権の争奪戦、夫婦離婚、殺人事件、学校でのいじめ、などなど本当に日本人には「和」の精神があるどころか争いを編年体で見れば歴史を語れると言って差支えなさそうだ。

 私は誰がこの「和を以て尊しとする」ということを言い出したのか知らないが、日本は「争いを以て尊し」の風潮があるように思えてならない。

 もし本当にある一部で「和」の風潮があるとすれば、それは勇気がないか、相手が強大で争いをしても勝ち目がないか、面倒だからか、本当に「和」の精神があるからではない。日本人の心の中には争いの精神が充満している。

 考えてみればマナーが良いと言うのは個人が社会の習慣、風潮に反対する独立独歩の精神がないだけで、本当に人柄が高潔であるというのとはちょっと違うように思える。これは臆病な迎合と阿りではないか。

 

もちろん例外的な人たちは存在するだろうが、それはあくまで例外で平均的な日本人は争い好きである。

政府が介入しなければ老人は冷遇されるだろうし、病人は疎ましがられる。姥捨て山やらい病患者の隔離、穢多、非人への差別、士農工商制度、などなど人間を差別し、邪魔な人を排除する歴史があった。

現在では電車内で、老人が席を譲られることは少なく、軽微な交通違反で政府は運転者から金を収奪する、そのことに関するデモはないし、エスカレーターでは右側を開けておく。そんな社会の悪風習に物申す人が少ない。

全て臆病だからだ。「和」は臆病と解するべきではないか。あるいは我関せずという自己中心的な考えかも知れない。

それはどの国でも似たりよったりで、近隣諸国、欧米、中近東、これらの歴史を見ても歴史=戦争という図式が完成する。人には「和」の精神は希薄だ。

日本人は勤勉である。工学においては優秀だ。このようなことは真実であろうが、「和を以て尊しとする」という考えに到底賛成できない。

戦後70年。いつまで日本は敗戦国なのか。もうぼちぼち憲法を改正し、戦後は終わったと世界に宣言してはどうだろうか。日本は臆病であるから、周囲に無言を貫いているだけではないか。

一度の敗戦に力強い精神を失くし、無言を通さず、諍い好きな他国、人に物を申そうではないか。アメリカは日本という国を怖れ2度と立ち上がれないような憲法を押し付けたが故に、友好国になった今では自ら制定した憲法に制限されて、必要な協力を得られない。

戦争や諍いは良くない。「和」の精神で解決するべきなのは当たり前だが、過去を見れば話し合いはかなりの確率で無力であったことは間違いない。

最近日本礼賛番組がある。それを見ていると恥ずかしくなる。道徳観念は低下し、権利ばかりを主張する人が増えた。凛々しさや勇気を失くした若い男性、優しや品を失くした若い女性が如何に多いか。

日本が「和を以て尊しとする」というなら権利の主張の前に義務を履行しよう。そうすれは「和」の精神がいかなるものか、自身で理解するであろう。

酒巻 修平

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