あの喫茶店へはもう行かない

 『

近所の喫茶店で店員に「初めての方ですよね?これからもよろしくお願いします」と話しかけられて、2度とこの店には来たくない」と思ってしまった

』というブログを最近読んだ。

 その時このブログを書いた人は何を考えているのだろうか、何を言いたいのだろうかと、全く理解に苦しんだ。どうしてこの喫茶店には二度と来たくないのは何故だろうかと言っている意味も分からなかった。後でこの店員の言葉が気に食わないからだと分かった。

 しかしコメントとしてその人の行動指針に同調している人が多く、これも驚きだった。もちろん10ほどのコメントを読んだだけだったので、同調している人が現在の若者の意見を代表しているかどうかは判然としないが、少なくてもこのブログを書いた人が他の人の賛成を得られることはないだろうと思っていた私を驚かした。

 喫茶店の店員さんは何とかまたそのブログを書いた人にまた来てもらおうとして、そんな発言をしただろうし、悪気は一切なかったと思える。

 もし私がそのように言われたらその発言は申し訳ないが、全く頭に残らないだろうし、だからそれに対して何らの自分の行動を変えることもなかっただろう。

 この事象からは色んな解析ができる。先ず私が思ったことは現在の若者には申し訳ないが、こんな若者には次世代は任すことはできないということだ。

 店員の些細な言葉を悪くとらえ、それを許さず「もうこんな店には来たくない」と思う心の狭さ、度量の無さでは社会に善をなすことができない。単なる我儘人間なのだ。

 その人が会社で経験を積み、課長、部長になったとき多分自分の気に食わない人を虐めるだろう。それも一度も意見を交換することなく、好き嫌いで部下を処すると考えられる。

 しかしそれが社会の風潮なのだろう。願わくばこんな人が部下を持つ身分にはならないで欲しい。部下が可哀想だし、その会社は発展しないだろう。

 次に考えたのは喫茶店の競争が激し過ぎるのではないかということだ。どこにでも安物の喫茶店があり、そのブロガーはどの喫茶店も選ぶことができるのだ。新しいビジネスの発掘をも満足にできない大企業が零細な喫茶店を食い物にして、今度は大企業同士が競争するからこのブロガーの行為、考えを許すのだ。もし近所にあるいは会社の近くに喫茶店がそんなに多くなければこのブロガーはもしかしたら嫌でも最初の喫茶店に行かざるを得ないだろう。

 ある日大手が経営している喫茶店に入った。いつも行く喫茶店でそこでは食事もできる。私は常連なので、店員もよく覚えていて笑顔で迎えてくれる。何人かと聞かれたので後で連れがくると答えると4人掛けのテーブルを勧められた。

 こちらは2人だからそこは無駄だからこっちで良いと2人掛けのテーブルを選んだ。しばらくすると4人の客が入ってきて、私が勧められたテーブルにさらに隣の2人掛けのテーブルをくっつけ6人掛けとして4人が使用した。

 この人物たちはたいして若くない。もしかしたら社会はもうそのように相手(喫茶店の利益)も考えることをしない人たちで充満しているかも知れない。

 そこは安い喫茶店である。その4人が支払う金額は低い。それにも関わらず6人が使えるテーブルを4人で使うという権利を行使した。今の人たちは権利の行使だけを考え義務を果たすことをすっかり忘れてしまっている。

 そこはビジネスタウンの真っただ中にある。私は近くの食堂でランチを摂ることも多い。相客を見ていると良いマナーの人が多い。高額な料金を支払う人に限って食堂のことを考え、時間をあまり取らず食事を済ませる。

 だから先ほどの喫茶店の4人は会社でも低レベルの人だと思い、少し安心するが、油断はならない。仕事は人と人の付き合いから始まる。相手の立場や利益を考えて、行動するのは当たり前だと思う。

 それを考えない人が一番安い料金のランチを注文して1時間たっぷりと席を占める。もちろんこんな人は会社で重要な役に付ける訳はない。食堂は昼休み、2回転くらいさせたいだろう。だが1時間粘られたら1回転である。そんなことをすることは許されるが、マナーとしてはどうだろうか。

 先ほど書いたブロガーが社会で高い地位を占めないことを願うばかりだ。社会で高い地位を占めるには寛大な心と、誠意、勤勉、相手を思う気持ち、そんな人を思う気持ちを持つことが必要だ。そうすれば仕事は自然に達成することができる。

 だが一方無意味な試験だけで高級官僚になる輩もいる。そんな社会はいつになったらなくなるのか。先ほどのブロガーと言い、高級官僚と言い、人柄の悪い人は社会の片隅で細々と暮らして欲しい。

酒巻 修平

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