今日の言葉
イソップ寓話より引用
173)木樵(きこり)とヘルメス
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
ある男が川の側で木を伐っていて、斧を飛ばしてしまった。斧が流されたので、土手に坐って嘆いていると、ヘルメスが隣れに思ってやって来た。そして泣いている訳を聞き出すと、まずは潜って行って、男のために金の斧を持って上がり、これがお前のものかと尋ねた。それではないと答えると、二度目には銀の斧を持って上がり、飛ばしたのはこれかと再び訊いた。男が首を振るので、三度目に本人の斧を運んで来ると、これこそ自分のだと言うので、ヘルメスは男の正直なのをして、三つとも授けた。 男は押し戴くと、仲間の所へ行って、一部始終を語った。聞いた一人が羨ましくなって、自分も同じ目に遭いたいと思う。そこで斧を取り上げると、件の川に出かけ、木を伐りながらわざと斧先を渦に投げ入れて、坐って泣いていた。 ヘルメスが現れ、どうしたのかと訊くので、斧を失くしたことを語った。ヘルメスが金の斧を持って上がり、失くしたのはこれかと尋ねたところ、飲呆け男は先走りして、正にそれだと答えた。神はこれを与えなかったばかりか、自分の斧も返してやらなかった。 神意は正しい者の味方をする、そして同じ程度に悪人の敵にまわる、ということをこの話は説き明かしている。
金の斧・銀の斧
「金の斧・銀の斧」の元になった寓話は、欲張って嘘をつくとすべてを失うこと、正直に答えることの大切さを教えています。
イソップ寓話が面白いのは、「欲張って嘘をつかずに正直に答えること」という教えを、わざわざ物語にして伝えているところにあると思います。
寓話で伝えるのは、きっと子ども達の心にも届き、記憶として残りやすいからでしょう。
きっと、みなさんの心の中にも金の斧・銀の斧の物語は残っていると思います。イソップ寓話は紀元前6世紀(現代から約2600年前)に作られたものですが、その物語が現代まで残り、私たちの記憶にも残っているのは、人間としての本質が変わらないからだと思います。
余談ですが、私の記憶に残っている金の斧と銀の斧の物語では、男が神様から3本の斧をもらった光景を見て、欲深い男はわざと斧を捨て、金の斧を求めた話だったと思います。
このイソップ寓話では、3本の斧をもらった男が仲間のところに行って一部始終を語ったことになっています。
もし、斧をもらった男が「神様は、正直に答えたから3本の斧をくれた」と話していれば、欲深い男は斧を失わなかったと思います。
イソップ寓話集の「金の斧・銀の斧」を読んで、そんなことを感じました。