センスは良いがユニークなネクタイ
そんなネクタイはほとんど見ない。江戸時代のある程度の地位にある人の服装は素晴らしくセンスが良いし、ユニークで見ていて飽きない。もちろんこれは後世の人が創出したものだろうが、何かの文献に基づいているし、実物も現存している。
イタリアから多くのものを仕入れている時、日本の打掛をお土産に持っていったことがある。相手は非常に感激して、それを家では時々羽織るらしいのだ。使用法は日本とは違うがそんなことを彼らは頓着しない。
その時に言われた。「こんなに良いデザインの衣装が日本にはあるのに、どうしてイタリアなどから仕入れるのか」と。彼らからすれば日本のデザインはユニークでそして質が高いと認識したのだろう。
私も同感である。日本が鎖国を中止して、海外の文物を大々的に導入し始めてから150年。まだまだ海外の物の模倣が続いている。模倣はどこまで行っても模倣で本物とは程遠い。
上記ネクタイはその最たるもので、背広がいかなるものであってもネクタイのセンスが良ければそれなりの雰囲気を作り出せるものだ。
ネクタイは十字軍の騎士が危険な遠征に行く時に恋人がスカーフを上げて自分を偲んでもらおうとしたのが始まりだそうだ。
だから相当派手だ。その後だんだんそんな風習が定着してネクタイという新しい装飾物が発明され今に至った。だから作る方も着用する方も派手さを基調元にしている。
日本人は上品というのが好きだ。確かに風習としては好ましいことだが、この考えをネクタイに応用する時、地味に陥る。だから日本では地味なネクタイしか売れない。
アメリカ人はその反対でやたら派手で、トランプなどただ赤い色の物を締めている。かなりセンスが悪い。アメリカにはまだまだ文化が根付いていない。派手だけでは駄目だ。例えばエルメスのスカーフを見ると分かる。
派手ではあるが、派手というだけではなく、そこに素晴らしいセンスが含まれ、ユニークである。そういうデザインがネクタイの源流なのだ。
その点日本人でもタレントはどんな服装をしようが、許される。気持ちが自由なのだろう。ネクタイのセンスも良い。
海外でも時々素晴らしいネクタイをした人を見かける。イギリスの次期首相候補の人が着用しているネクタイは派手だと言われるが私にはそう見えない。あれで丁度良いのではないかと思うのだが、日本人から見れば派手なのだろう。
時代劇を見ると地位の高い武士がとても派手な服を着用している。地味に見えても素材は絹で、センスが良く地味ではない。落ち着いた色合いの中からユニークさが滲み出ている。
だから日本人の服装に関する基本的なセンスが悪いとは言えないだろう。だが西洋の文物の模倣からは良い物は案出されない。銀座などでネクタイ屋さんを見るとセンスが頂けないネクタイがとても高い値段で売られているのを見かける。店はセンスの良いものを選ぶ能力がないのかと思うが、それは違う。
日本ではセンスの良いネクタイが売れないのだ。だからビジネスとしては売れる地味でセンスの悪いネクタイを売らざるを得ないのだ。ではどこに行けばそんなセンスの良いネクタイが売っているのかと探したことがあるが、とうとう探せなかった。
どこかに売っているはずだからタレントが着用しているのだろう。わざわざイタリアに買いに行くことなどしないのだろう。
若いうちは地味な服装も良い。肌艶も良く、肌理も細かい。だが年を取るとそうはいかない。どうしても容貌が衰える。それなのに地味な服装をする。そうするととても貧相に見える。
工業製品は必死な努力があって、海外より素晴らしい物が多い。そうだとすれば衣料品についてももう少し考えを変えてセンスの良い物を作れるはずだ。
しかしデザインは感性から生み出されるのだろう。このネクタイや車のデザインがどうしても悪い。そんなデザインがユーザーの好みなのだろうか。はなはだ遺憾である。
日本のシルクは世界最高級だと思う。それを使った産業が消滅の危機にさらされている。女性の着物のデザインも相対的に下がった。日本の伝統文化は世界に冠たるものだ。それがなくなる西洋かぶれはほどほどにして欲しい。
酒巻 修平