無くなった言葉

日本男児

 悲しいことだ。男女同権という訳の分からない制度を政府主導で蔓延したため、若い男子はだらしがなくなった。もちろん例外はいて、その一部は「肉食系男子」と呼ばれることもあるが、それは日本男児と少し意味が違う。日本男児ももちろん金のために職業に付くが、仕事に対する考え方は自分自身の名誉のたに働くというだった。特攻隊などの制度を考えて実行した軍部の上層部はどんな心境でこんな制度を作ったのかは知らないが、特攻隊に選ばれた当時の若者は従容として任務に就いた。

乙女

 これも悲しい。アメリカの悪習慣を模倣して権利の主張ばかりして、義務を疎かにしては日本の文化が滅びる。電車の中で老人に席を譲る若い女性を見たことがない。乙女はだいたい電車に乗っても座らなかったものだ。

もし

 もしもしは電話を通じて使う言葉だが、この「もし」を知っている人はもう相当の老人だろう。道で前を歩く人が何かを落としたときなど、それを教えて上げるのに前の人に呼び掛ける言葉だった。美しい女性を見つけた男性が追い越してハンケチを故意に落とすと、後ろにいた美人が「もし」と男性に呼びかけ、それが切っ掛けで交際が始まったという映画の一場面を見たことがある。

ありがとう存じます

 これは絶滅危惧種に入っているが、まだどこかに残っているかも知れない。この言葉の代替品の「ありがとうございます」は街でよく聞く。

来駕

 コンピューターで文字変換するとまだ出てくるから、結婚式の招待状などの文章には出て来る可能性がある。最近親戚の結婚式に出た。雰囲気はアメリカの結婚式に似ていた。日本文化はだんだん姿を消し、文化に関しては低俗なアメリカの風習に取って変わられた感がある。意味は来てもらうということだ。

早急に(さっきゅうに)

 読み方が間違って定着した例だろう。この間フランク永井の歌が好きだと言う若者と居酒屋で隣席同士会話を交わした。居酒屋では如何に意味もない下らない会話を2時間程度できるかが達人とそうでない人の分かれ目だというのが私の偏見の持論である。その若者は身体障碍者であるが無類の酒好きで面白い人物であった。その若者は「さっきゅうに」と言って私を驚かせた。

あばずれ

 実はこの単語がまだ絶滅していないのを最近知った。やはり居酒屋でのことで恐縮だが、隣の席の団体客と仲良くなって、会話に参加した。全員酔っている。一人仕事ができそうな女性がいて、その上司である部長さんがその女性のことを私に「あばずれ」と紹介した。こんな悪い言葉を使うとパワハラ、セクハラになると思うのだが、女性は平然としてその言葉に笑って反応している。仕事ができる人は度量も広いのだなと感心した。一体セクハラ、パワハラとはいかなる行為なのか。互いに信頼感があればそんな言葉や行動もそうならないのだろう。

ただいま

 帰宅した人が発する言葉ではなく、また居酒屋の話しだが、注文した人に店の人が応える言葉だ。普段は「少々お待ち下さい」と私が一番嫌いな言葉を投げ掛けるが、客を待たして良いはずがない。アメリカでは「right now」と言うしイタリアでは「subito」とウエイターかウエイトレスが注文に応える。これらが「ただいま」に相当する言葉である。日本の方が飲食店の店員は親切な筈だが、言葉はアメリカやイタリアより拙い。もっともそれらの国ではウエイターやウエイトレスの職業的な地位は相当高い。教養も備えているのだろう。

書肆

 本屋さんのことである。最近は本があまり売れないから本屋さんに行く人の数も少なくなっているだろう。肆とは店のことだろうか。居酒屋は同様に「酒肆」と言ったらしいがこちらは使ったことがない。今出版社は売れる本だけを出版するから良い書籍が少ない。若い人も言葉を知らなくなったので、ちょっとでも難しい単語は本の中にも出て来る頻度が下がった。日本文化はどこに向かうのであろうか。

庭師

 今は造園屋さんと言う。庭がある家はだんだん少なくなってきた。だから造園をする家も少なくなって、造園屋さんの数も少なくなった。でも考えてみよう。家庭とは家(建物)と庭の二つの言葉で成り立っている。マンションは便利だが庭には人の気持を和らげる効果がある。便利を取るか安らぎを取るかと問われれば便利を取ると答える人が多くなったのだろう。便利とは無駄を省くことにも通じるが、無駄と考えられていることでも無駄でないことも多い。

看護婦

 政府が強制撤去した言葉である。しかし看護婦と称してどうして悪いのだろうか。看護師の一人に聞いたことがある。看護婦と呼ばれると嫌かと。答えはそんなことを考えている女性看護師はいないだろうというものだ。同類の言葉にスチュワーデスというのがある。それがどうしてキャビンアテンダントでなければならないのか。便利な言葉は時として文化を失くすことがある。しかし看護婦と呼ぶと罰せられるということがないので、私はいつも看護婦さんと呼んでいる。

言葉は文化を象徴する最たるものだ。それを馬鹿な官僚どもが壊す。馬鹿に付ける薬がないのだろうか。これらはほんの一例である。最近言葉は急速に無くなっていく。言葉は文化の象徴の一つだ。日本の伝統文化の衰退が懸念される。

酒巻 修平

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