ADHDと孫のピアノ発表会

 私は医者にADHD(注意散漫、多動性症候群)と言われて、孫の運動会やこのようにピアノの発表会で長時間一ところで黙って座っていることに大きな苦痛を感じる。この日発表会は12時過ぎに開演した。

 この日私は4時過ぎから仕事があって、そこから1時間ほどかけて約束の場所に行かなければならないことになっていたので、3時には会場を後にしなければならない。しかし2時間以上は席に座って子供たちの演奏を聞かなければならない。覚悟を決めた。

 演奏は幼稚園年中組の子供から始まった。舞台の裾からチョコチョコと小動物のような女の子が出てきた。可愛い。動物の子供も可愛いが、やはり人間の子供の方が可愛い。

 歩き方もまだぎこちない感じがするが、それがまた可愛い。ピアノには足踏み台が鍵盤と子供の上半身を合わせるように置いてある。ピアノの前でチョコンと挨拶してピアノに向かった。

 弾くこと1分くらいかあっという間に終わってしまった。私のADHDを心配する暇もない。入れ替わりに同じような子供が入ってきてまた1分。何だか私にも物足りない演奏時間だ。

 そんな子の演奏が終わり、今度は小学生の番だ。少し曲も難しくなるがそれほどでもない。聞き覚えのある曲を一所懸命弾いていて退屈はしない。

 小学校2,3年の女の子になると礼をする時に身体の前で手を重ねる。とても優雅で皇室の若い女性が海外で礼をしたのと同じスタイル。皇室の人はこんなことも教えられているのだと感心したものだ。

 でも演奏では腕だけでピアノの鍵盤を叩いている。いずれ修正しなければ腱鞘炎になると要らぬ心配をする。小学校4年生の子だったと記憶するが、体の中心部から力を伝える弾き方をする子がいて、感心した。これが正しい弾き方である。

 中学生になるともう大人に近い力量があるように感じられる。難曲も弾きこなし聞きごたえがある。でもまだ音符を追っかけているだけのようだ。曲全体のバランスや音符と音符の微妙な長さの違いは出て来ない。

 第一部の終わりにバイオリンの演奏があった。中学3年生の子で、幾つかのコンクールで入賞をした腕前の持ち主で難曲を弾いた。実は難曲を演奏会で演奏するのはまだ本当の力がないとも言える。

 簡単な曲で観衆を魅了するのは至難の業なのだ。かつてシューマン作曲のトロイメライ「子供の情景」をリストが派手なカデンツァを付けて引いたことがあった。素晴らしい技法を駆使し、素晴らしい演奏で拍手が鳴りは止まないほどだった。

 そのあと同じ曲をシューマンの妻クララが演奏した。夫の作曲の本当の心を分かっていたクララはとても優雅にしっとりと超絶技法によるカデンツァを駆使することをしないで弾いた。

 演奏が終わると観客はしばし静寂を保ち、如何に演奏が心に染み渡ったかを表現した。それが演奏というものだ。難曲を弾くのは技法としては難しいが、本当の芸術はそのようなものではない。そんなことを考えて聞いていた。でも中学3年生としては出色の出来だった。

 さて私の孫は中学2年生。ショパン作曲のワルツ7番を弾いた。どうしても贔屓目に聞いてしまう。この人間としての行動も可笑しい。去年より相当上達したと感心する。どうしても贔屓目に聞いてしまう。この人間としての行動も可笑しい。

ピアノの発表会を催した先生に習っている子供のお父さん、お母さんの演奏もあった。お母さんはピアノを子供と連弾した。お父さんはトロンボーンの演奏だった。この時私は先生の人柄の良さを感じた。

 先生は必ずしも素晴らしい演奏家ではない。演奏者の実力を向上させ、持っている素質を開花させるのが仕事だ。ゴルフのタイガーウッズのインストラクターもタイガーウッズのゴルフには及びも付かないが、教える内容や技術は卓越していたのだろう。そのようにこの先生を評価した。

 歌の合唱もあって私はそれを聞いて会場を後にした。実は前日私はオペラの演奏会で歌ったばかりで、そんなピアノの発表会を面白く聞いた。最初の年中組の子供の仕草を思い出しては「ふふ」と微笑が漏れる。

 私のADHDはこの日姿を見せなかった。

酒巻 修平

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