ネット通販の恐怖

 物を通販で買うのは簡単で便利だ。特に最近はアマゾンのサービスが良く、問題が発生しても電話で応対して解決してくれる。私はアマゾンの愛好者だ。

 ネット販売を業としている会社が何社かある。楽天とは販売者として取引したが、あまりに身勝手な取引形態に嫌気が差して取引を中止した。

 ヤフーオークションでも種々の物を買ったが、オークションとは名前だけで、実際には単純な販売サイトとさして変りはない。オークションとして出品される商品が少なすぎ、何とも貧弱だ。従ってこれからもアマゾンがシェアを伸ばしていくだろう。

 国外からもネットで商品を個人的に購入した。南アからも買ったし、イギリスは勿論、アメリカ、カナダなどの商品を物色した。

 物の販売方法には幾つか種類がある。家庭に訪問して現物を販売する方法、道路から声を掛け、客を呼び込む方法、店を構えて商品を陳列販売する方法、そしてこのネット販売である。

 最近は家屋内に知らない人を入れることを嫌う。過去の嫌な経験からくることで、それは販売者の責任であろう。だから今は家庭にやって来た人から商品を買うことは滅多にない。

 店舗販売は古くからある方法であるが、販売者は大きなリスクを負う。店舗の保有に関わる費用、在庫を持つ資金、販売員への給与など会社が負担する費用は大きい。

 その点ネット通販はリスクがない点、販売者に取っては至便な方法である。

当然買う方にも便利である。一々買いに行く手間もない。品番が付いているような商品では確認する必要もない。だが販売システムを構築するのには高度なコンピューター技術を要する。

 この販売システムの構築は多額の資金を用意しなければならないし、カストマ―サービスも電話対応である。電話を掛けるとすぐに応答があるところを考えると相当な人員を揃えているだろう。極めて大きな資金を投入していると見ることができる。

 その方式に対抗するのは至難の業で、今後はアマゾンが日本の市場を独占するのではないかと予想できる。勿論店舗販売には買う方に取って楽しみがあったりするので、存在価値があるが、生き残れる店舗は大手か特殊な物を特殊な方法で売っているところだけになるだろう。

 便利という状態は人の持つ怠惰な気持ちを解消する手段である。だが反面人はだんだん怠惰になってくる。これがコンピューターを利用する利点であると同時に人の能力を削ぐ一因である。

 ネットでの購入は「どこでもドア」を持っているようなものだ。コンピューターの使用が将来はもっと多くなると考えられるので、人は体だけではなく、脳も使うことが少なくなる。

 自分自身では探せないような商品を探すのもコンピューターがやってくれるだろうし、営業マンは職を探すのに苦労するようになる。トラックの運転手も自動運転の普及と共に用済みにならないだろうか。

 最終的に残るのは資本を持っている人だけで、そんな世界は考えるだけで空恐ろしい。企業の数が少なくなり、世界には立った一つの企業だけが存在するような社会は人が生活を営む社会とはほど遠い。

 私はアマゾンで古本を買う。しかし本の題名が分からないと買えない。だがそのうちジャンル別に分類整備されて自分が読みたい種類の本の全てが目の前に示されるだろう。

 今でも私の好みを把握されていて、メールや記事で私が欲しいと思う本が表示され、買う気を起こさせる。そのうち実際の本が何冊か届けられ、そのうちの買いたい本だけを抜き取るなんてサービスが始まらないか恐怖である。

 一ヶ月の予算が自動的に計算され、まだ予算があるとそんなサービスが続く。予算がなくなるとサービスは一時停止されて月が替わるとまたサービスが再開される。

 ここでは人が考える必要がない。私の頭脳はだんだんと退化していく。自分の最寄りの駅から目的地の最寄りの駅まで行くのに考える人はもういないだろう。

 最近ある契約を交わすことになった。その原案を見て私は仰天した。契約書の体を成していないのだ。相手は信託銀行。異例の契約書であるから、誰かが原案を作らなければならない。考える能力がないのだ。信託銀行は小さくても上場企業。空いた口が塞がらなくてまだ契約はしていない。

酒巻 修平

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