人には二回の人生がある

 二回とは学校を卒業して独立の考え、生活を持つのを区切りとしてその前とその後である。言い換えれば人に教えられる時期と自分で考える時期とも言える。

 人は他の動物と同様、生まれても一人では生きていけない。まして人は歩けもしないし、一人では食料も口にできない。母乳を飲むか哺乳瓶を口に入れてもらう。

 生まれたての人は体も小さいし、各種臓器も未発達である。従って脳も未熟だ。脳は各種データをインプットして考え方、行動方式、情緒などを決定していく。もちろん思考、創造能力もこの時期獲得するものだ。

 逆から考えるとデータをインプットさせるのは母親が主であろう。だから人の基本的な考え方は母親によって決定されるのだ。

 母親がいない子供に対しては誰かが代行するだろう。しかし代行する人が複数人いる場合は幼児には戸惑いが生れる。だから子供は母乳で育て、あるいは母親が哺乳瓶で乳を与えるのが良い。

 母親に精神的な問題がある場合、幼児にも問題が発生する。すぐにそれが発現するわけではないが、やがて必ず芽を出す。

 しかし成長期(第一回目の人生)に子供の脳に影響を与えるのは母親ばかりではない。母に代わってあるいは同時にあるいは後刻影響を与えるのが父親だ。

 父親は子供に社会との関わりや仕事に対する心構えなどを自然に教えるものだ。ここで母が父を蔑ろにし、軽蔑するような態度を子供の前ですると子供はそのデータをインプットして、使用する。

 人を虐め、軽蔑し、無視あるいは人の話しを聞くことができないという現象はこんなころに植え付けられる。

 だから母親は自分の考え、行動が子供の将来に大きな影響を及ぼすと考え、賢くなくてはならない。

 今の学校の教育制度には大きな反対があるが、子供はここでも友達、先生に教えられ成長していく。先生という職業は上級学校への入学試験に対するインストラクターではない。総合的教育者なのだ。

 さて学校を卒業して自分の考えを持ち、行動するようになるのが第二回の人生である。だから基本的な人格は幼児期に出来上がり、その後の期間は知的あるいは社会的に行動するのは自分自身の考えで行われる。

 しかしそれができないママコン、パパコンもまた多い。これは幼児期の父母の教えがいびつだったからだ。しかし大きくなってからはそんなことを言い訳にするのは間違っている。

 自身で収入を得、社会で自身の考えで行動する大人は自身が自身を教える父母、先生でなければならない。

 あるいは人の行動を参考にするのも良いし、本その他、何を自分の考えの一部に取り入れても良い。

 幼児期に教えられなかったこともここで獲得する。獲得するものが多いほどその大人は優秀で、人格が豊かになる。ただ基本には父母の教えがあるから、自分自身の考えはその上に構築される。

 父母の教えが正しくないと気づくのは良いことだ。自分で気づき、自分で修正できるのが本当の大人だ。子供時代ぼんやりしていた人が社会に出ると大きな活躍をすることは絶えず目にし、耳に聞く。

 社会的な計算は父母からは教わらないだろう。弱い人を助けることもそうだ。動物を可愛がり、困った人のために寄付をするという行為は自分自身の考えから出て来る。

 何もできない、存在感がない。そんな嘆きをする人もいるだろうが、それは当たっていない。何か自分のため、人のためにすることがある筈だ。

 また幼児期から子供時代を経て、大人になると集団、すなわち社会とどう向き合っていくかが大きな課題として表れてくるだろう。そんな時は幼児期での教えを超えて行動することもその人が考えなければならない。

 二回の人生は言い換えれば個と集団ということにもなろうか。あるいは教えられると教えると考えても良い。また与えられると与えるとも言えるだろう。

酒巻 修平

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