表現の不自由展

 電車の車内で寝る、男性が上半身裸で銀座を歩く、車の中が見えないようにしてその中でセックスをする。「ばばあ、早く歩け」と大声で喚く、渋谷の大信号の中で大声を上げながら練り歩く、どんなに体が悪い人にも車内で席を譲らない。などなど、これらは法律違反ではない。

 韓国がありもしないことをでっち上げて作成した慰安婦像が展示された「表現の不自由展」に抗議が殺到したとして中止に追い込まれた。

それに対して物を深く考えない大学の教授が物知り顔に憲法に規定されている表現の自由を盾にその中止の処置は憲法違反だと解説する。

学者、評論家などの頭には法律しかない。人を律する規範の中で法律は最低の規範で、より高度な規範には道徳や宗教上の規範があるのを考慮に入れない。

第一弾の不道徳な行為は法的には罰せられないが、道徳規範から考えると許されない行為である。「表現の不自由展」で慰安婦像を展示したことは法律違反ではないが、道徳違反である。「ばばあ、早く歩け」と発言するのを変わらない行為である。

それを公的施設で開催するのを中止するのは当然であろう。私的な施設でそんなことを許すかあるいは見たい人だけが見れば良いのだ。公的な施設は多分税金で建設、管理されているだろう。不道徳な物品を展示するのを止めるのは何ら不思議ではない。

障害者を労わらなくても法律違反ではない。しかし人は道徳的な観点からその人たちを労わるのだ。それは法律より高度な規範を基準にした行為である。人の世は法律や道徳あるいは他の規範によって成り立っている。

 それを法律的な判断だけで世の中を律するのは文化と言えない。上半身裸で歩くのは文化的ではないし、カーセックスは見えなくても許されない行為であるのは言を待たないだろう。

今回の参議院銀選挙でもヘテロドックスな候補者が何人か当選した。その人たちに投票した人たちは何か目新しいこと、他にはなく目を引くものに関心を持ったのだろう。

 二人の障害者が参議院議員として当選したので、国会議事堂内は彼らのために改装された。もちろんそれには我々の税金が使われたのだ。彼らは被選挙権があり、当選すれば仕事をするために改装するのは当然であろうが、あの人たちはそれを当然のように感じている。

 あの人たちは障害者でそれに対して一般人にはない種々の権利が発生する。それも当然だが、彼らにはその権利の付与に関して感謝する義務がある。それが見えない。

 NHKから国民を守る会という会派も一人当選者を出した。だがそんな単一な政策だけで何故当選するのだろう。当選させるのであろうか。選挙民は多分現状に飽きたのだろう。

 かつて民主党を与党にした選挙民はこの党が日本に何の貢献もせず、却って国力を弱めたことを覚えていないのだろうか。現状をもっと良くしたいという気持ちや何か新規なものを見てみたいという願望は理解できる。

 しかし国の政治をというのはそんなに単純なものではない。長く実りのない労苦を経てやって実現できる政策、法律がほとんどだ。新規なものは一瞬にして制作を改正し、文化を形成できるものではない。返って文化を壊し、国を弱体化させる例は古今東西例が無数にある。

 正当で誠実なものは目立たない。だがそんなことこそが文化を生み、国を富ませるのだ。ヘテロドックスな人たちには自分愛が目立ち、国全体の利益を考える心が薄い。

 ありもしない捏造事案の象徴の慰安婦像を公共施設で公開することはヘテロドックスの最たるもので、何の意義があるのだろうか。「表現の不自由展」は何を目的にしているのか。日本人の嫌悪感を呷ることが目的だろうか。それなら公共施設を使用することは許されるべきではない。

 表現は無制限に許されるものではあり得ない。「表現の不自由展」の主催者の家の前に主催者の馬鹿さ加減を示す像を設置するのは許されるだろうか。法律的には許されるかも知れないが、日本の高邁な道徳はそれを許さない。人を律する規範は法律だけではないのだ。

酒巻 修平

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