今日の言葉
イソップ寓話より引用
90)蝮(マムシ)と水蛇
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
蝮がいつもやって来ては水を飲む泉があった。そこに住む水蛇は、蝮が自分の餌場に満足せず、他人の縄張りにまで押しかけて来ることに腹をたて、その都度邪魔をしようとした。こうして争いがひどくなるばかりなので、二人は決闘をして、勝った方が土も水も自分の領分にすることに取り決めた。 戦いの日どりも決まった時、水蛇を憎む蛙たちが蝮のところへやって来て、助太刀を約束して激励した。さて、いよいよ決戦が始まると、蝮は水蛇を攻めたてたが、蛙はそれ以上何もできないので、ただ大声で鳴いていた。 蝮が勝ったが、彼は蛙を非難した。助太刀を約束したくせに、戦いの間、少しも助けなかったばかりか、歌など歌っていたではないか、と。すると蛙たちが答えて言うには、「いいですか、われわれの加勢は手でするのではなく、声だけでするのです」 手が必要な時に言葉だけの援助は屁の突っ張りにもならぬ、ということをこの話は説き明かしている。
言葉だけの主張は意味がない
情報化時代になり、誰でも自分の意見や主張を発信できるようになりました。
それは素晴らしいことですが、その反面、主張だけを口にする人が増えたように感じます。
そういった人々は、自分の価値観や感情に基づいて主張や現状否定をしますが、具体的な行動計画が見えてこないのが特徴です。
ただ言葉を発するだけで満足している人が多いと感じます。
2024年7月の都知事選の候補者を見ていると、そういった人が大半を占めているように思います。
彼らは出馬して目立ち言葉を発するが目的で、都政や都民のことなど考えてもいない。
「マムシと水蛇」の寓話では、カエルがマムシに「助太刀する」と約束しました。
マムシはカエルが実際に手を差し伸べてくれると信じました。
しかし、カエルにとっての「助太刀」は、ただ声援を送るだけでした。
マムシとカエルの「助太刀」の意味が異なっていたことが問題だったのです。
私個人の考えでは、何かを主張するときは、その意見の責任を持ち、具体的な計画や代替案を持つことが前提だと思います。
具体的な計画や代替案が見つからない時は、意見を述べる資格がないと思います。(それは自分の勉強不足です。)
しかし、主張だけする人々は、主張や否定はしますが、それ以上の具体的な計画が出てこないのです。
それは、カエルの「助太刀」のようなものだと思います。
それは良いか悪いかではなく、ただ意見や考え方の違いです。
しかし、カエルのような行動を続けていると、最終的には誰からも信頼を得られなくなると思います。
イソップ寓話の「マムシと水蛇」を読んで、そう感じました。