信用できる社会とできない社会

 1970年4月、帝国ホテルフロントにて。私「予約してあるんですが、チェックインお願いします」。ホテル「畏まりました。お名前をお願い致します」。「酒巻修平です」。ホテル「畏まりました。ではここに必要事項を記入して下さい」。私「分かりました。これで良いでしょうか」。ホテル「結構でございます」。私「いくら前払いをすれば良いのでしょうか」。ホテル「いえ、それは結構です。お支払いはチェックアウトの時にお願いします」

 2000年3月、帝国ホテル。私「予約してあるんですが、チェックインお願いします」。ホテル「畏まりました。お名前をお願い致します」。「酒巻修平です」。

ホテル「畏まりました。ではここに必要事項を記入して下さい」。私「分かりました。これで良いでしょうか」。ホテル「結構でございます。では宿泊料などに充当するため、カードをお借り致します」。「え、全額カードを切るんですか」。ホテル「いや、金額は記入しないで下さい。どの程度お支払いがあるか分かりませんので」

 1970年と2000年の間に何が起こったのだろうか。1970年ホテルは客に前払いさせるなど、名誉に掛けてできなかった。2000年、ホテルは客から全額前払いをしてもらえないと客をチェックインさせない。

 一つには外人が多くなったことが上げられるが、もう一つにはコンピューターの普及があったろう。ネットでものを買うと偽物も多いし、中古品であると機能を巧みに誤魔化す。だから人は人を信用しなくなった。人を信用しない人を人は信用しない。

 東急沿線から電車に乗り、中目黒で日比谷線に乗り換えて神谷町で降りた。ポケットを探ると東急の回数券はあったが、営団の回数券を紛失したようだ。その旨改札所にいる駅員に申し出ると、170円支払ってくれという。仕方なくもう1枚回数券を取り出して支払った。

 今度は逆方向でやはり地下鉄の回数券を失くしてしまった。駅の改札でそのことを言うと「分かりました。どうぞ」と私の言い分を信用してくれた。神谷町は高いビルがそびえるビジネスタウン。そこでは人を信用しない人が沢山いるのだろうか。私は馬鹿だからよく回数券を失くす。でも神谷町以外ではどの駅も私の言い分を信用してくれた。

 この文章を読むと若い人は「いちいちそんなことは気にするな。回数券を失くしたのはお前の責任だ」と言うかも知れない。だが寂しい。回数券は単なる運賃を支払ったという証拠。領収書ではない。その証拠がないからと言って、言い分を信用しないで支払いを要求する駅と、要求しない駅があるのだ。

 今日本は岐路に立っている。人を信用する社会がまたやって来るのか。それとも信用は未確認としてまずは人を信用しない社会が現出するのか。

 お寿司屋さんに行く。先ずは代金を前払いしてくれという店はないだろう。レストランのチェーン店でも同様だ。だがアメリカでは先ず食事の前に支払い方法を聞かれ、数字の欄が書き込まれていないカードの支払票にサインをさせられる。

 ウエートレスの仕事振りを信用しない店のオーナーは最低賃金を支払い、後はチップで収入を得させるのだ。だからウエートレスは必死で働く。

 日本のウエートレスはそんなことをしなくても働く。それが使命と思っているからだろう。見ていると独楽鼠のようにくるくると良く働く。気持ちが良い。

 アメリカと日本、どちらが幸せな国だろう。もちろん日本だ。アメリカでは資産が兆を超す人が何人もいる。日本ではいても限られているだろう。兆の金を持っていても使えない。ただ持っているだけだ。その金は社会に貢献しない。

 伊豆のある旅館を予約しようと思った。それで電話をすると行きたい日は土曜日だが空き室があった。それで電話番号と名前を言って電話を切ろうとすると「お客さん、宿賃を前払いして下さい」と言う。初めてのケースだ。

 そんなに信用できない旅館には泊まりたくないので、先ほどの予約はなかったことにしてくれと電話を切った。とても不愉快な気持ちでその日は他の旅館にも電話をしなかった。

 だがこれには裏があった。今旅館を予約しても連絡もなく、来ない若い客が増えているらしい。それで合点がいった。私が予約を取り消した旅館はそんな経験を何度もしたのだろうと思う。

 その後にもそんな話しをよく聞く。予約をするが気が変ったのか他にもっと自分の好みの旅館があったのか、何の連絡もなく客が現れないのだ。旅館側は部屋を当日には埋められない。用意した料理材料は無駄になる。予約金を取るのは止むを得ないなと思った。こんな世の中になってもらいたくない。

酒巻 修平

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