メディア報道をどう解釈するか

 二つの読売新聞の報道を参照する。一つは10月19日朝刊27面「田園調布 戻らぬ日常」。もう一つは10月20日朝刊2面「地球を読む」「消費税上げ 経済停滞の犯人にあらず」である。

 初めの「田園調布―――」の件であるが、浸水した地帯は土地が極めて低い所だけで、所謂我々が想像する田園調布の一般的な地域とは違うほんの一部の地域である。

 この地域では多摩川に沿うように丸子川という小さな川が流れていて、浸水した地域はその川より多摩川よりのほんの小さい一郭に過ぎない。

 新聞記事を読むと田園調布の大きな部分が台風の被害に会ったように読めるが、記事は誇張して書かれている。浸水したのは極めて低い地域の小さな一部で田園調布を代表するような面積もないし、土地の様相も違う。

 丸子川より上(田園調布は多摩川の河岸段丘に沿った高い土地に住宅が立っている)の地域で浸水したところは一軒もないようだ。

 二つ目に検討するのは「消費税上げ ―――」と立正大学長の古川 洋という人が書いているコラムの一部である。氏は経済の停滞が消費税の影響ではないと持論を書かれている。その時に引用されたのがヨーロッパの消費税率は20%くらいで(日本の税率の10%より相当高いという意味)ある。それにも関わらず経済は崩壊していないという意見である。

 氏は新聞社から頼まれたのか、それとも無知あるいは無視なのか日本の消費税は売上税でヨーロッパの消費税とはベースの部分が違うということを考慮していない。

 ヨーロッパの経済が崩壊していないかどうか、それは別問題なのでここでは分析をしないが、消費税同士を比較するならベースを統一するのが、正しい論理の進め方だ。それができなければ似非理論と言われても仕方がない。

 このように新聞を二日間見てさえ報道されているニュースが不正確あるいは間違っていることに気づく。理由は簡単だ。新聞が発行されている目的は金儲けが第一義で、国民一般に情報を伝えるという機能はだんだん衰退している。

 我々はそれを知って新聞の記事は読み物として扱わなければならない。記事を信じて考えを変え、行動を起こしてはならない。

 朝日新聞などは記者のイデオロギーの主張のために事実を曲げ、誤報に終始している。だから少しコンピューターを使える人はネットに頼るようになる。もちろんネットの記事も全てが真実とは限らない。だがネットで自分の意見を述べ、情報を発信する人の主たる目的は記事を書くことであるので、新聞やテレビよりは真実に近いことを述べている。

 メディアが嘘を付く方法は二つある。一つは全くの不真実で、一つは事実の一部しか書かないことだ。上記「田園調布―――」は真実の一部だけを書き、読者の目を引くことなど真実を報道することから外れている。

 「消費税上げーーー」は真実ではないことを基本に自分の意見を述べている。新聞はそれをまるごと報道するので、真摯な態度とは言い難い。

 これに対抗するには自分の頭を鍛えることである。「田園調布」の件は別として「消費税」の方は日本の消費税が本来の意義での消費税ではないと知っていなければならない。

 私が知る朝日新聞の元幹部社員が新聞社の報道態度に嫌気が射して、仕事のやる気を失くした。社内でもそんな人がいるのにどうして朝日新聞は誤報が多いのだろうか。

 理由は簡単だ。メディアという大きな力を背景に自分の考えを国民に刷り込みたいのだ。理由は一つではないだろうが、これはまやかしだ。

 ただ私が朝日新聞を取らなくなった理由はそうではない。記事の文章があまりに下手だからだ。これは前にも言ったが、副詞や形容詞、節の配置する位置が不適当だからだ。何度読んでも分からなかったり、つの意味に解される文章が多い。

 新聞はこれからどこへ行くのだろうか。朝日新聞は廃刊寸前と言うし、産経新聞は右寄り過ぎる。報道は正確で無色透明でなければならないと思うのだが、どうしても自分の考えで物や情報を見てしまう。仕方がない点があるので、読者は単なる読み物として新聞を読む技術を持たなければならない。

酒巻 修平

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