脳と歩行

 普通の歩行が運動かと聞かれるとはたと迷うが、運動とは新たなる筋肉の経験と分析した本があり、なるほどと納得したことがある。それ以来運動の定義をそのように定めている。

 動物あるいは植物は生物であり、それは自然物に対して自己複製をなす系であると定義できる。新陳代謝は自己内の細胞の複製であり、これは水平的と言えよう。

 同様に自己全体を複製する作業である子孫を産む行為は自己複製そのものだ。生物が生きる目的はこの自己複製をすることであり、それを子々孫々伝えていくことに相違ない。

 自己全体を複製するにはまず自分自身が新陳代謝という内部複製をしなければならない。そうでなければその生物は死に、自分の複製物を作ることはできない。高等動物以外の生物は自己内にエネルギーを作り出す行為すなわち食料の摂取を時間の許す限り行っているのはそのためだ。

 鳩を見ると一日中餌をついばんでいる。金魚は水の中の栄養素を呼吸する度に体内に吸収している。体内にある物質やその他を外部の自然と置換することによって生を保っているのだ。

 だが動物が高等化するに従って脳が発達してくる。そうすると生きる目的は子孫の保存だけではなく、脳を活用する欲望が目覚める。現在のその極限にあるのが我々人である。

 人の体はデジタルーアナログの総合体だ。脳からの電気信号が必要な箇所に向けて発せられ、そのデジタル信号を受けた箇所が信号の命じるアナログ物質を作り出すのだ。

 脳の一部が機能しなくなると人は健康に生きていくのに困難を来す。ストレスが発生するとその解決できないストレスを何とか解決しようとして血液や脳の唯一の栄養源であるグルコースがその目的のために大半使用されてしまう。

 これが健康な人が病気になる一番の原因だが、それ以外に記憶を司る脳の部分に汚れが生じる現象がアルツハイマーなどでは発生する。汚れは電気の不良導体で正常な電気信号が発せられてもそれが必要な箇所に到達し難くなる。

 これに対する医療行為の一つがこの汚れの成分を除去する医薬品を服用することだが、効果は思わしくない。最近脳に振動を与えてアルツハイマーを治療しようとする方法が試されている。

 脳が振動することによって脳に溜った滓を落とそうとしているのだろうが、今のところその効果にはまだ一定の高評価が定まっていない。

 それで思い出すのがアリストテレスの逍遥学派の存在だ。彼は歩きながら弟子と議論し、指導したとされる。これは確かに一理ある効果的に脳を活発にする方策だ。

 私も良い考えが浮んだ時その考えを深めるためや思索を練る時に部屋の中を歩き回る。これはいつも効果的だ。理屈は分からないが、脳はある程度の振動があると働きが活発になると思われる。

 脳からの電気信号で体が制御されているとすると、その電気はどこからくるのだろうか。電気は静電気で、筋肉、骨、膜などが擦れて発生する。歩行は膝や筋肉を摩擦する行為で、運動ではないにしても体を制御する電気の発生には効果的であることは間違いがない。

 現在の医療行為は1900年以前の科学を基本に組立っていて、とても古い科学を利用する行為である。だから人の体が如何に制御されているかなどは考慮されることは少ない。

 特に臨床医は教わった方法や周知の投薬だけで医療を考えている。彼らは病気が何故発生するか、病気とはどのような現象なのかには興味がない。あるのは症状の軽減と消滅だけである。

 病院の医療以外にも沢山の病気治癒方法があるが医師は一様にそんな行為を異端として軽蔑し、無視するが、例えば整形外科医は筋肉の修正ができない。捻挫、寝違い、ぎっくり腰などに対してはその部分の筋肉を使わないようにさせて人の治癒力を待つのみである。

 私はカイロプラクティックを少し習ったので、固まった筋肉をほぐすだけで、上記の症状を20分くらいで治すことができる。そんな事実があっても医師はそのような手技を認めない。もしそのようなこりやかたまりの原因が分かればもっと簡単に治癒が可能だと思うのだが、それはとても困難で多くの研究を要する。

 しかし医学も進歩している。いずれの日か人の体が如何に動いているか動かされているか解明できる日がくるだろう。そうすると今ある難病も治癒が可能になる。だがそれにあまり目を付ける学者はいない。

酒巻 修平

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