出世は運で決まる?

 学友はもう皆退職してしまったが、会社に勤務している時、「出世するかしないかは運次第だ」ということをよく聞いた。大きい会社では入った年次、あるいはたまたま自分の上司になった人がどの程度出世するかで自分の出世度も決まるという訳だ。

 付いて行った上司が社長にでもなれば、自分も引き上げて貰えるからそんな発言も出るのであろうが、付いて行く人を選ぶにも自分の実力が物を言う。能力が薄い人に付いていけば引き上げてもらう程度も知れているし、トップになるような人を頼ると自分の地位も高くなる。

実は私が出た母校では芸術家はよく輩出するが、ビジネスの世界では鳴かず飛ばずである。考えてみると芸術とビジネスの世界は対極に位置する人の能力を要する。

 芸術家は他と同様の作品を生み出しても意味がない。片やビジネスの社会は妥協、協力など他の人との関係を重視する世界だ。いくらピカソが天才でも同じ画家が同じような絵を描いても顧みられないだろう。

 ビジネスでは他社との競合はあるが、その競合に打ち勝つには同じ会社の同僚などの協力を得ることが必須になる。芸術をするのと同じような能力が必要な部分がないとは言えないが、全体的には違う感性が要求される。

 母校は外国語を教える大学だったので、習ったことを生かして文学の世界で成功した人がいる。だが考えてみればもともとその人たちには生まれつき備わった文学の能力があったのだと思う。

 だが芸術で身を立てるのは難しい。芸術を目指す人が100万人いても成功する人は1人もいないという過酷な世界だ。だがビジネスで成功する確率はもっと高い。何故ならビジネスの裾野は広く、受け入れられる能力は芸術より低くても大丈夫なのだ。

 だがビジネスの世界では浅くても良いから、広く物事を観察し、分析、思考、実行しなければ成果は得られない。ビジネスの社会では広い視野と思考、芸術をものにするには創造性が必須だ。

 人の能力は高い方から創造、思考、記憶とランク付けできるだろう。創造性を持つ人は少なく、記憶が得意な人はいくらでもいる。我が母校には創造性の方に向いている人はいるが、大きな能力がある人は少ない。

 だから生計を立てるには手っ取り早く大企業に就職する。だがそこで求められるのはどちらかと言えば深さではなく広さだ。元々深さを求めて母校に入ってきた人が能力の方向が違う広さや分析力を持っていることは少ない。

 自分が持っていない能力を上司が持っているかどうかを見極めるは簡単ではない。上司の能力は総合的に自分より上だからだ。だが付いて行くのはどの上司が良いのかを見極めなければ最終的な自分の地位は運任せになる。

 すなわち出世するかどうかは運ではないのだ。上司の資質や能力を見分けられる能力があれば自分も出世する。能力がない人は出世などできない。

 いつも行く飲み屋さんでは東証一部に上場されている会社に勤める人が大勢くる。50過ぎの人も多い。総務部長、常務、課長、色々な地位の人がいる。私は中小企業の経営者だからついこの人は仕事ができるかどうかを判定してしまう。

 良いことではないが、これも職業病。だがこの人が部長で良いのだろうか、会社は発展するのだろうかと思う人が時々いる。客観的にそんな判定をした人はやがて降格されるか子会社に転出させられる。

 ある時銀行の支店長をその飲み屋に連れていったことがあった。それでそこにいた常連の経理部長のことを話すと、その支店長は「随分頼りなさそうな部長だな」と感想を漏らした。

 その会社は今、業務縮小をして発展が止ってしまった。もちろんその部長だけが原因ではないが、総体的に人事が不適当だった可能性が高い。こんなことから見ると本当に実力のある人は発展する会社ではその実力通りの地位について活躍している。

 会社も従業員も今は大変だ。昔のように年功序列をしていては他国、他社との競合に敗れてしまう。運で高い地位に付くことなど全く不可能だと思うし、万一そんなことを会社がやればその会社の命運は尽きる。

 戦前大学を出る人はとても少なく、卒業して会社に入ると、すぐに助手が付けられ、何十人かいる執務室では給仕が立っていた。社員がお茶を欲しいと言えばすぐにサービスしてくれたと聞く。

 私の友達もトヨタに3人入社したが、アシスタントの女性がすぐに付いたらしい。古き良き時代というべきか、馬鹿らしいと言うべきか。これもグローバリスムの所為だろう。

酒巻 修平

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