アルハンブラの思い出

 私がスペインに行ったころは今ほど観光がブームではなかった。アルハンブラ宮殿内には国営のホテルがあって、物の本にも載っている有名なホテルで、そこを予約していった。

 マドリッドで仕事を終えて、旅行会社のアドバイス通り列車で現地まで行った。だがこのアドバイスは何故そんなアドバイスをしたのかと不思議なくらい退屈なものだった。

 木も生えていない荒れ地を何時間も列車は走った。最初は本などを読んでいたが、それもすぐに飽きる。回りは全て現地のスペイン人で話しかける人もいない。もっとも私はスペイン語ができないので、話し掛けたくても駄目だったが、兎に角時間を潰すのに苦労した。

 今はもう忘れてしまったが、かなり長時間列車に乗って行ったと思う。食堂車があったかどうかも忘れた。私が乗った列車には多分食堂車が付いていなかったのだろう。もし付いていたらそこで酒などを飲んで時間を潰したと思う。

 酒は人生の友だ。寂しい時、嬉しい時、今のように時間を潰す時などいつでも相手をしてくれる。そう言えば飛び込み営業をするのに東海道を東京から名古屋の方に向かって今はもうないと思われる各駅停車に乗って行ったことがあった。

 ある程度大きな町があると思われる駅で途中下車して、駅前の電話ボックスで職業別電話帳から商品を買ってくれそうな会社を探しては飛び込んで営業したものだ。一度途中下車をして営業して駅に戻ってもすぐ列車はやってこない。

 そこでキオスクに立ち寄って瓶詰めの大関の一合瓶をちびりちびりやりながら次の列車を待った。私は酒が強いし体から酒の匂いもしないので、次の営業にも差支えがない。これは格好な時間潰しの相手だった。

 さてスペインの退屈な列車から降りてどのようにそのホテルに行ったのかも覚えていない。そこはアラビアの王様の昔の宮殿で、至るところにアラビア風のアラベスク模様がタイルで表現してある。

 昼間はまだそのアルハンブラ宮殿を見物にくる観光客の姿も散見できたが、陽が沈むともう誰もいなくなる。宿泊している人もいるはずだが、そんな人の声は全く耳に届いてこない。

 高等学校で習った芭蕉の奥の細道には「佳景寂莫として心澄みゆくのみ覚ゆ」という行があったのを思い出した。もちろん雰囲気は全く違うのだが、寂莫は同じだ。私は生まれて始めて建物の中があんなに静寂なのを経験した。

 辺りは森閑として古代に帰ったような精神状態になる。先ほどの列車内と同じようにすることは全くない。しかし音が宇宙の彼方に消えてしまったかのような音の真空状態は人の心を異次元の世界に誘い込む。

 そんなことをするほど私は年を取っていなかったが、生きてきた軌跡を辿り、仕事のこと、友人、知人、自分の知性の具合、そんなことがつぎつぎを浮かんできた。

 昔はさぞかし音も灯りも色も装飾も全て消え失せたのだろう。そんな時に人は何を思うのか。心に芸術心が浮ぶのか。このようにして昔の人は偉大な事績を残したのだろうと思うとこの音なしの世界は尊かった。

 だがまたそこは自分の行動が全て回りに影響を及ぼす世界でもあった。自分が音を立てるとそれが回りの全ての音になる。灯を点すと全世界が明るくなる。それらを全て失くすと回想は闇の中に消えて行くがそこに留まっている。

 そんな贅沢というか無の世界を体験した。眠りに付こうとすると自分にはない深い考えが浮ぶ。こうして昔の人は大きい能力を発揮できたのだと悟った。外の世界には規則や雑音が多すぎる。

 そんなものはここには一切ない。自分だけが世界で自分の心や精神が全て受け入れられる。そして目を覚ますと喧しい鳥の声。やっと闇の世界から生還したのだ。

 古代には何もなかったのだ。自分が作り出す世界が全てで、それがまた自分を縛る。騒がしい所に行くと何かのルールはあるのだろうが、この宮殿では自分が全てを制する。

 もうこんな体験はできないだろうと、出発時間には宮殿を振り返り、振り返り後にした。

酒巻 修平

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