田舎に住むということ

 地球上の人口は少しずつ増加してきたと思っていたが、そうではないらしい。キリストさんが誕生したころ、すなわち、紀元1年ころには2億3000万人くらいで、1500年ころになってもそんなに変わっていない。

 ところがそれから増加が始まり、1800年には9億人くらいに達した。現在は77億人である。何故人口の増加カーブがそんなに急上昇したのか。これはイギリスに始まった産業革命のお陰だ。

 産業革命は1700年ころから漸進的に進行した。その前はプレ産業革命があり、人口は少しずつ増加していったが爆発的な増加はこの工業化が一挙に進んだことによる。繊維産業の勃興と蒸気機関の発明がその原動力であった。

 しかしずっと田舎に住んでいる人にはこの恩恵があまりもたらされず、今でも世界人口の1/6が食料さえなく、餓死する人が続出しているのだ。食料が充分に確保できる人は今でも半数くらいであるし、厳密に計算すると1/3くらいであろう。

 そのように貧困な生活をしている人のほとんどが田舎に住んでいる。今田舎という言葉を日本では使わなくなったのかも知れないが、それを地方と言って誤魔化してはならない。

 豊かさはイギリスから始まったが工業化が進んだ国から遠いほど貧困である。豊かさは工業化と密接な関係にあり、貧困はその逆だ。日本は工業化をイギリスに遅れること100年で達成した。

 中国や韓国も日本に近かったという理由で極度の貧困から抜け出ることができた。だが今で両国の田舎に行くと貧困が目立つだろう。都市は裕福、田舎は貧困という図式が成り立っている。

 日本でもこの現象は無視できない。いまだに田舎では豊かな生活ができない。国は援助をしているが、なかなか追いつかないのが現状だ。地方創生大臣なる人物がいるが、大きな成果の兆しさえまだ見えない。

 何故貧困が存在しているのかその原因が解明されているのに、それをどうして処理しないのだろうか。それは簡単だ。日本にその状態を改善する役目の人がいるのに、その人にアイデアがないからだろう。

 あるいはやる気がないのか。内戦のない日本で都市部と田舎の格差が大きいのにそれを縮小することができないのは不思議だ。

 中国は昔工業国の部類であった。しかしそこから本当の意味の工業化がなされず、国力は増大しなかった。その大きな原因が科挙の制度にあったと言われている。

 科挙の制度とは極めて難しい試験に合格した人物を政府の官僚として登用することで、彼らには記憶という能力には長けていたが、思考力、創造力がなく、他を助けるという精神が全くなかった。

 こうして中国は先進国に国土を奪われ、貧困国の仲間入りをした。日本はどうか。官僚になるにはどうしたら良いのか。ここでもやはり試験である。国家は安易な方法で重要な役目を果たさなければならない人の採用を決定するという間違いを犯している。

 地方再生を大臣が出来ないのであれば、一般からアイデアを募集すればどうだろうか。そんなアイデアを持った人、あるいは考え出せる人は少なくないはずだ。上部官僚の役目は国民を住み易くそして豊かにすることだが、中国の役人も日本も自分のことしか考えていない。

 アメリカは世界で最も国力がある国である。どうもそれは日本のように中央集権国家ではないからではないだろうか。国の多くの都市に工業があり、所謂田舎というところが少ないということも一因ではないだろうか。

 日本では頭脳は東京に集中している。工業化なり福祉などを考えるとき、どうしてもある程度の頭脳が必要だ。それが東京に集中しているとどうしても地方が寂れる。過疎化した地域も多いだろう。

 頭脳は知識だけでは生かされない。思考力や創造力を駆使し、そこに良い人柄が加わればどんなことでもできるだろう。それが日本ではまだできていない。まして韓国、中国などは政治家や役人の人柄が悪すぎ(例外はいるだろうが)国民はその能力の恩恵を受けていない。

 田舎イコール貧困という図式はどうしたら改まるだろう。農産物は工業製品の価格と比較して低い。だから農業を業として行うには極めて多くの土地で大量に農産物を生産しなくてはならない。一機の戦闘機の値段は米に換算するとどのくらいになるだろう。

酒巻 修平

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