踊りの美
踊りという行為がいつから始まったかは分からないが、国にはそれぞれ特徴のある踊りがある。踊りはへ捧げる行為ということを始まったという説が有力だが、実際不明だ。
西洋のダンスは有名だ。ギリシャ、ローマ時代から世界はほぼ西洋の文化が側諸国に広まっていたので、踊りもその一種だ。
南アメリカをスペイン、ポルトガルが占領してから本国の踊りが多少変形、ヴァリエーションが派生して南アメリカの踊りも現在では有名だ。その一つにアルジェンチンタンゴがある。
どの国の踊りも脚の動きを主としたものが多く、このアルジェンチンタンゴも主に女性ダンサーが脚の動きを強調する。
男性はリード役だが女性ダンサーがいかに美を見せるかは男性ダンサーの腕に掛かっていると考えて間違いないだろう。
私がとても魅力的に思っているダンサーはCarlos Gavitoだ。極めて男性的な動きをするが、今ネットで見ることができるのは主に彼が年を取ってからのものである。
ところがその年を取っているということが魅力というか、年を取っているが故に彼のダンスは成り立ち、見ていると引きずり込まれる。
機会があったら、是非ご覧いただきたい。彼のダンスを見ていると早く年を取りたいと思う人もいるのではないかと思われる。
このダンスは内面の激しさを激しい動きで表すものだが、激しさと言えばフラメンコダンスも双璧だ。主たるダンサーは女性だが、スペイン辺りの女性はこのダンスに現れるように内面の激しさを持っているのだろうか。
スペインやアルジェンチンは今や先進国とは言えない。それが故に貧困を胸に秘めた激情は大きいのだろうと考えてしまう。
それに比べるとイギリスやフランス、ドイツは先進国だ。ダンスは優美で特にウインナーワルツのダンスは経済のリッチさを物語る。
イギリスのアイリッシュダンスは如何にもイギリス的だ。農村の匂いが通ってくるようで、軽快でリズミカルで、村祭りを連想させる。
アフリカの国で西欧と文化的に関係のない国のダンスは一種独特だ。Zaouli Danceは如何にも大地、自然とともに生活してきた民族の風習が滲み出ていて、興味深い。
他のアフリカのダンスも様式はあまり変わりがない。彼らが自然を畏怖し、その恩恵に与ってきたかを示している。
アメリカンインディアンのダンスも我々にはユニークだ。アフリカ同様、衣装は鳥の羽で飾り立て、ダンサーは上流階級の人のようだ。
アイヌは日本人ではなく、どこかの原住民が日本に移民してきたのだろう。彼らは後進国的で、ダンスも様式性がなく、即興的と見える。
その他アボリジニ、イヌイット、高砂族など原住民のダンスは衣装も自然のものを使い、人口的ではない。ダンスも単純だ。
ダンスはどの国、宗教にもある。ベリーダンスは蠱惑的で明らかに男性に見せるためのもので、極めてセクシーだ。
イスラム国は一番男女同権が進んでいないと言われるが、ダンスにもそんな風潮が現れている。
日本の舞踊はここでも特殊だ。ほとんどの国、地域の踊りが動的であるのに、日本の古代、中世の能、日本舞踊と称する踊りも静的である。
そこでは内面、精神の状態をできるだけ少ない動きで表現しようとしている。その極にあるのが、能だ。1,歩前進するとそれが旅を表現するなど、日本以外の国の物とは一線を画している。
踊りの目的はいくつかある。神へ捧げる行動、精神状態を表すもの、男女交わりを連想させるもの。人は心を行動に表したいのだろう。それが舞踊だ。
舞踊はその国や地域の文化や経済の状況をも表しているようだ。だが何故脚が重視されるのだろうか。踊りの発祥が古く、そのころは体の移動手段が脚だけであったことに由来するのだろうか。誰かその解明をやってみませんか。
酒巻 修平