今日の言葉
菜根譚より引用
前段5) 忠言は己を磨く砥石
耳にはいつも痛いような忠言・諫言を聞き、心にはいつも思うままにならない事がある場合には、それこそ、修養を積み徳行を磨く砥石となって身のためになる。これに反して、他人のいう言葉が悉く己の耳には悦ばしく聞こえ、他人のなす事が総て己の心には満足に思うようであれば、修養の機会もなく、この尊い一生を猛毒の中に投げこんでしまうようなもので、実に痛ましくてためにはならない。【引用元 講談社 菜根譚 著 久須本文雄】
褒める教育の問題点
本当に必要なアドバイスや厳しい指摘は、心に刺さり痛みを伴うものです。
しかし、その痛みを伴う指摘こそが、自己成長につながるのです。
近年、パワーハラスメントの問題により、心に刺さるような厳しい指摘が難しくなりました。
代わりに「褒めて育てる」という考え方が広まり、そのような職場が「良い職場」とされ、職業選択の一つの基準となりつつあります。
確かに、誰もが厳しい指摘よりも褒められる方が心地よいものです。
しかし、菜根譚では「他人の言葉が耳に悦ばしく聞こえるものは、修養の機会もなく、一生を猛毒の中に投げ込んでしまうようなもの」と説いています。
結局のところ、褒められればその場は満足できますが気づきは少なく、指摘されればその場は悔しく納得できませんが、その分気づきがあるものです。
上司が自身のストレス発散のために部下を指摘・罵倒するのはパワーハラスメントですが、部下の将来を考えた上での指摘が「真の教育」といえるでしょう。
「褒めて育てる」ことも必要ですが、その結果、褒められないと行動できなくなったり、褒められることが目的化され自分の行動の動機に気づけなくなったりするなど、褒める教育には問題があると個人的に考えます。
菜根譚でこのような教えが語られた背景には、当時の中国でも「褒める教育」が流行していたのかもしれません。
菜根譚 前段5「忠言は己を磨く砥石」を読んで、そのように感じました。
オススメの本
※ブログで紹介した久須本文雄著の『菜根譚』は絶版のため、岩波文庫の菜根譚のリンクとなります。