今日の言葉
イソップ寓話より引用
200)盗みをする子と母親
子供が学校で友だちの書板をくすね、母親に持ち帰った。母親は打擲しないばかりか、これを褒めたので、二度目には着物を盗んで手渡すと、前にもまして感心してくれた。 時が移り、この少年も若者になった頃には、もっと大きな盗みに手を染めるようになっていたが、ある時、盗みの現場を捕まって、後手に縛られ、処刑場へ引かれて行った。母親がその後を追い、胸を叩いて嘆いていると、若者は、 「おっ母の耳に入れたいことがある」と言った。そして母親が寄って来るや否や、その耳に食いつき、噛み切ってしまった。親不孝者めと罵るのに対し、息子の言うには、「初めて書板を盗んで渡したあの時、もし打ちすえてくれていたら、捕まって死刑になるまでのことにはならなかっただろうに」初めに阻止しておかないとますます大きくなる、ということをこの話は説き明かしている。
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
子育ては叱って褒めること
母親は、息子が盗みをしてきたことに気づけなかったのだろう。
息子も、最初に書板を盗んだときに「褒められた」から、次も褒められたくて着物を盗んだのではないだろうか。
このように考えると、この寓話の本質的な問題は、母親が子どもに関心がないことだと思う。
近年、子どもを褒めて育てることが良い教育だという風潮がある。
確かに、叱るよりも褒めた方が、子どもは伸び伸びと育つ。しかし、子どもが道徳的な間違いを犯したときは厳しく叱る必要がある。
時には叱り、時には褒めて、そうして心を育てることが大切。
子どもを適切に叱り、褒めるためには、親が子どものことを常に気にかけておくことが重要。
日頃から気にかけているからこそ、子どもの良いところや誤ったところに気づき、適切に教育していくことができるのではないだろうか。
イソップ寓話集 の「盗みをする子と母親」を読んで、そんなことを感じました。