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他の大人が子どもを叱ること

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今日の言葉

イソップ寓話より引用

199)子供と蠍
子供が城壁の前でバッタを取っていた。たくさん捕まえたところで蠍を見つけたが、これもバッタだと思い、手の平をまるめて、かぶせてやろうとした正にその瞬間、蠍が針をもたげて言うには、「やったらどうだ。捕まえたバッタも失うぞ」善人にも悪人にもすべて同じようにふるまってはならぬ、ということをこの話は教える。
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】

他の大人が子どもを叱ること

先日、電車内で大きな声で騒いでいる子どもたちがいました。しかし、親たちは自分たちのおしゃべりやスマホに夢中で、子どもたちを注意しませんでした。

夏休みで子どもたちが楽しい気持ちになるのは仕方ありません。しかし、その声があまりにも大きく、電車内では迷惑になっていたと思います。

本来であれば、親が「周りに迷惑だから静かにしなさい」と注意すべきですが、注意しません。

私も含め周りの大人も「迷惑だから静かに」と注意したいところですが、そういう親に限って「子どもに何を言うの!」と言われかねないので、関わらずに黙って我慢していました。

本来であれば親が子どもを叱るべき状況でも、親自身が問題意識を持てていないため、なにもしません。

また、親以外の大人も子どもを叱ることができなくなっています。

親も他の大人も子どもを叱れないから、子どもは自分が他の人に迷惑をかけていることを自覚できず、そのまま大人になってしまい、さらに状況は悪化していきます。

寓話に登場する蠍(さそり)は、針で威嚇しながら「世の中には危険なものがある」ことを子どもに教えています。

きっと、子どもから見たら、バッタだと思って取ろうとした矢先に思ったものがサソリで「やったらどうだ。捕まえたバッタも失うぞ」と脅かされたら、きっと怖い思いをしたことでしょう。

しかし、この怖さがサソリは危険だと覚えるきっかけになります。これは子どもにとって大切な教えです。

そういう大切な教えを教えてもらえないことが、今の子どもにとっては大きな問題になるのではないでしょうか。

イソップ寓話集の「子供と蠍」を読んで、そんなことを感じました。

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