今日の言葉
イソップ寓話より引用
169)放蕩息子と燕
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
放蕩息子が親譲りの財産を食い尽くし、残るはマント一枚となったが、季節はずれの燕が現れたのを見ると、はや夏が来て、もうマントも要らないと考え、これまで持ち出して売ってしまった。しかし、この後冬が戻り、凍てつく寒さの中を若者はうろついていたが、燕が落ちて死んでいるのを見つけて言うには、「燕よ、お前のお蔭で私もお前もお終いだ」時節はずれになされることはすべて失敗する、ということをこの話は説き明かしている。
他人のせいにするから失敗する
放蕩(ほうとう)とは、ほしいままに振る舞うこと。酒や女におぼれて身持ちが定まらないこと。
男は、親から引き継いだ財産を酒や女におぼれて使い果たし、最後のマントまでも燕を見て「夏が来た」と判断して売ってしまいます。
その後、寒さが戻ったときに「燕よ、お前のお陰で私もお前もお終いだ」と言います。
この寓話は、時節を誤ることの失敗を教えるものですが、この男が失敗したのは時節を誤ったからではないと思います。
「燕よ、お前のお陰で私もお前もお終いだ」とあるように、この男は全てを他人のせいにする思考パターンを持っています。
燕を見て、自分がもうマントをいらないと判断したのに、自己判断の責任を問わずに燕のせいにしていることが、この男の全てを表しています。
最後は、自分の生命ですら他人のせいで終わってしまいます。
そして、こういう人は現代社会にもいますね。
うまくいかない理由を全て、他人や環境のせいにしてしまう。
もう少し自分で努力すれば変えられそうな物事に対しても、誰かのせいにして、いつまでたっても何らかの被害者でいようとする。
被害者でいることに不平不満は言うが、そこから抜け出すことは考えない。
他人のせいにして被害者でいるのはいいが、やがて自分自身を狭めていくことに気づかないと、年を重ねるにつれて大変になっていくと思います。
イソップ寓話集の「燕とマント」を読んで、そんなことを感じました。