権力者の古今東西
文明とはどのように勃興したのか。どこでそれが始まるのか。我々は今のところ分からない。ただ文明とは文字があることだとすると、それはエジプト、メソポタミア、中国、インド辺りだろう。
文字以外に文明の存在を証明するものがあるのか。当然上記場所以外に文明あるいはそれに準じるものがあったのは間違いない。
それは多分現代人類、すなわちホモ・サピエンス・サピエンスが作ったものだろうが、ホモ・ネアンデルターレンシスかも知れないし、他の霊長類である可能性も捨てきれない。
人の脳の機能を考えるとある日突然大勢の人が目覚めて文明を開化するとは思えない。徐々に新しい考えや物が作られて、権力者も生まれてきたのだろう。
文明とは権力者の存在とは無縁ではないだろう。多くの人の力を利用して巨大な建築を行い、社会を構成したのだ。そこには文字という新しい発明があった。
エジプトのピラミッドを初め全容が確認されていない大建築物があったのは間違いない。だがこれらの都市が建設される前まで、比較的小規模な多くの建築物もあったはずだ。
それら比較的小さな町を巨大化した権力者が統合し、今4大文明と言われるものが発祥したのだ。人の能力には個々人で大きな違うはないのだが、ほんの小さい差が結果として大文明を成すに至るのだろう。
現在もそうだ。ロックフェラーやロスチャイルド家は天才軍団ではない。だが現在の文化の特徴として、超大な富を築き、ほんの少し経済的な能力が劣る人たちの富を搾取独占している。
文化は権力の象徴である。権力者が自己の権力をどのような象徴で表すかはその権力者がいる社会や自分自身の欲望の方向性で決まる。
キリスト教の権力者は大伽藍を建築し、富を独占した商人は芸術家を優遇し、自己が要求する絵画を自由に描かせ、音楽を作曲させた。
エジプトのピラミッド、日本の城、万里の長城、ストーンヘンジ、パルテノン、アンコールワット、ボロブドゥールはそのようにして建設された。
南米にも多くの巨大石を利用した遺跡が点在し、今も威容を誇っている。だが富の偏在が少なくなったからか、あるいは権力者が自己の象徴を造営することに興味をなくしたのか、最近では富の象徴を目に見える形で残そうとはしない。
そんな風潮がいつ始まったのか。城は作られなくなったし、大伽藍の建築の計画もないようだ。
比較的現在に近い富の象徴的な建物はクライスラービルか、スペインのサグラダ・ファミリアくらいだ。
昔巨大な富を所有した権力者はその富を使うことを考えた。それは富を一般人に配布する効果をもたらしたが、今の権力者はそのようなことは考えない。
密かに富を蓄え、蓄えた富を物に変えることはない。陰湿で、社会に何の益ももたらさない。今の権力者は社会の敵のような存在に成り下がった。
ただ大きなビルの中で生活し、富の管理に現を抜かすだけ。何とも意地汚い性格の持ち主だ。
勿論関係者には畏怖感を与えるだろうが、その人物の権力を象徴するモニュメントはない。権力を行使するのが唯一の生活信条だ。
日本では昔散財と言って時には蓄えた富を極めて馬鹿らしいやり方で費消する行為をした。歓楽街の全ての飲食店(吉原など)を貸し切りにすることもあったし、東京(江戸)中の鯛を全て買って一枚だけを残して後は全て捨ててしまう。
重要な接待客にその残ったたった一枚の鯛を刺身にして供応した。何とも馬鹿らしい行為だが、何だか憧れる点もないではない。
今の経済権力者は外部からは別に尊敬されることはないし、馬鹿らしさで歴史に残る訳ではない。彼らの一生は何のためにあったのだろうか。
他に抜きんでた能力を持って人は自分自身のモニュメントくらいは持ちたいものだ。その点権力者ではないが、芸術家や科学者は作品や考え方を本にして残した。そんな天才もいなくなったようで、寂しい限りだ。
酒巻 修平