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本当の教えは行いにある

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今日の言葉

二宮翁夜話より引用

文字は道を伝える器械 下男が芋種を埋めて、その上に芋種と書いた木札を立てた。
翁はいわれた。そなたたち、大道は文字の上にあるものと思ったり、文字だけを研究して学問だと思っていたら、間違いだ。文字は道を伝える器械であって、道そのものではない。それを、書物を読んで道だと思うのは間違いではないか。道は書物にあるのでなくて、行いにあるのだ。今あそこに立てた木札の文字を見なさい。あの札の文字によって芋種を掘り出して、畑に植えて作ればこそ食物となる。道も同じく目印の書物によって、道を求めて身に行って、はじめて道を得たことになるのだ。そうしなければ、学問とはいえない。ただの本読みに過ぎない。
~引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注~

本当の教えは行いにある

論語や聖書、そして今回紹介する二宮翁夜話など、人生論に関する文章は数多く存在します。

これらの文章に接する際、ただ素直に読み感じるだけではなく、「この文章は誰を対象に語られているのか?」、「なぜこの言葉が残されたのか?」を考察することも重要です。

例えば、「文字は道を伝える器械」と語った二宮金次郎は、具体的に誰に向けてこの言葉を述べたのかを考えてみましょう。

この文章で最も伝えたいメッセージは「道は書物にあるのではなく、行いにある。」ということです。

そのために、二宮金次郎は芋種の木札を例え話として使っています。

この言葉を述べた二宮金次郎の相手は、農民ではなく、彼の弟子たちと推測されます。

彼ら弟子たちは、道を探求するために書物ばかりを読んでいたと考えられます。

弟子たちが書物や教えに囚われている姿を見て、二宮金次郎が「道は書物にあるのではなく、行いにある。」と語ったのだと思います。

現代でも、宗教、スピリチュアル、ビジネスの成功など、さまざまな「道」があり、それぞれに対する教えが存在します。

書店に行けば教えを紹介する書物が溢れています。

それらの教えはおそらくどれも正しいのでしょう。

しかし、それらはただの言葉や文章であり、本当の教えではありません。

本当の教えとは、言葉や文章から理解し、それを自分の行動に移し、その結果、心にフッと落ちることだと思います。

「道は書物にあるのではなく、行いにある。」

情報過多で、言葉や文章による道や教えが溢れる現代だからこそ、この言葉を心に留めておきたいと思います。

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